文学賞メッタ斬り・リターンズ

細々と新学期の授業の準備。会議。買うべき沖縄土産で買い忘れたものがいくつかあるので、こそこそと隠蔽すべく代田橋のめんそーれ商店街まで行くが、第三火曜で休み。暴れる。

文学賞メッタ斬り!リターンズ

文学賞メッタ斬り!リターンズ

褒めるときはストレートにてらいなく、けなすときにはエンタテイニングに。豊崎さん、あなたは人生の師匠です。

Tom Thumb the Great

18世紀演劇読書会@成蹊。Henry Fielding, The Author's Farce (1730), The Tragedy of Tragedies; or the Life and Death of Tom Thumb the Great (1731)。どちらも大変くだらない。
前者はバーレスクのくせに三幕ある。三文文士と下宿屋の娘とのロマンスが入る都会喜劇だが、三幕が人形劇でやたら長い。しかも最後は外枠のキャラであるはずの三文文士が人形劇のなかに乱入してきて、「ぼくじつはなんちゃら国の王子だったんだ、ぴょん」、下宿屋のおかみも「じつはあたしほにゃらら国の女王なの、ぴょん」とかいってそのままわーっと終わる。めちゃくちゃ。
後者はアーサー王伝説親指トムを混ぜた添え物のドタバタ。ジョナサン・スウィフトは生涯で二度しか笑わなかったが、そのうち一回がこれを観たときだそうな。親指トムが国を救って巨人と戦ってモテモテとかで、十九世紀までは(たぶん卑猥な部分をカットして)家庭内でもよく上演されたらしい。親指トムはしばしば子どもや女性が演じたらしい(わたしはてっきりパペットが演じていたのかと思ったよ)。劇そのものより初版に著者自らつけた140もの注釈が圧巻。最初の "Such a Day as this was never seen" というところにいきなり「コルネイユのいう三一致の法則が……」とか、延々と注がつく。ただ dayということばが出ただけなのに。その後もひたすら無駄な教養を繰り出して、いかにこの作品が偉大な悲劇であるかを説き続ける。あほか。こんなものを二十歳そこそこで書くフィールディングもすごいが、読んでいると、スターンなどの「メタフィクション」はこうしてヴァラエティ・ショー的なアホ芝居ののりから出てきたんじゃないかという気が強くする。

Out of Place

バトラーとメランコリーの拡大についての原稿、なかなか終わらない。

Out of Place: Englishness, Empire, and the Locations of Identity

Out of Place: Englishness, Empire, and the Locations of Identity

久しぶりに読んだが、名著。大英帝国下、また現在のポストコロニアル英国における「英国人」概念の揺らぎを追った本。カリブ海域出身のクリケット・プレーヤーのあり方とか。「英国性」はけっして完成しない、不定形のものだ。ラスキンナイポールの具体的な分析も冴えている。

告知 コプチェク講演会

ジョーン・コプチェク来日イヴェントの告知です。

10月7日(土) 13:30〜17:00 東京大学駒場キャンパス学際交流ホール
 第5回LAC国際シンポジウム「精神分析イスラーム――想像界をめぐって」
 講演 Joan Copjec, "The Imagined World: Between Paris and Tehran"
  コメンテーター 鵜飼哲
   ラウンドテーブル 村山敏勝、原和之、山田広昭
   (使用言語:英語、ただし講演の日本語訳配布)
    http://www.lac.c.u-tokyo.ac.jp/laccolloque.html

10月8日(日) 16:00〜18:00 お茶の水大学人間文化研究棟6階大会議室
 講演 Joan Copjec, "The Descent into Shame"
  コメンテーター 下河辺美知子
  司会 竹村和子 
  http://www.igs.ocha.ac.jp/f-gens/activities/event/schedule/index.html

現時点での原稿を読んでみたところ、前者はアンリ・コルバン経由のイスラム哲学を、ラカンセミネール20巻と接合しようとする試み。性別化の式の女の側、世界のなかに内在しているべつな世界の表現を、キアロスタミ映画にも見ています。イスラム哲学の専門家が聞いてどういうのかわからないが、野心作。後者は、やはりキアロスタミ作品におけるへジャブを取り上げ、こちらはより作品に寄り添って、恥じらいと享楽の関係を論じるもの。アガンベンホモ・サケル』も引かれている。
お茶の水の会では、これに先立って11:00から大橋洋一司会で、Marjorie Garberのバイセクシュアリティ論 Vice Versa の文献討論会も行われます。

<女>なんていないと想像してごらん

<女>なんていないと想像してごらん

Vice Versa: Bisexuality, Eroticism and the Ambivalence of Culture

Vice Versa: Bisexuality, Eroticism and the Ambivalence of Culture

風が吹くまま [DVD]

風が吹くまま [DVD]

桜桃の味 [DVD]

桜桃の味 [DVD]

ぼくのキャノン

犬と海水浴。何度も犬に殴られ(犬はただ寄ってきてるつもりだろうが)溺れかける。ANA128便で帰京。西荻「ぐすく」で炭火焼き豚他、ああうまい。ご主人は沖縄出身ではないそうです。

沖縄「戦後」ゼロ年 (生活人新書)

沖縄「戦後」ゼロ年 (生活人新書)

目取真俊の父は終戦時には十四歳、北部の小さな村で敗残兵五人の食料を調達していたのだという。彼に食わせてもらっていた兵隊たちは、密告を恐れて彼を殺そうとしたこともあったという。十四歳の少年のほうも、武器をもって一家で餓死寸前の老人から山羊をむりやり奪ったりしている。「軍隊が自分を守ってくれるとは思わない」というときの気合が違う。
ぼくのキャノン

ぼくのキャノン

どうしても沖縄ではなく日本の話に見えてしまう。米軍の遺産のもと、それを管理する神官(マカトのオバァ)が絶対的な権力をふるい、新たな宗教の下に村を経済的に繁栄させていく物語。最後の最後は(オバアがでっちあげた空想宗教だったはずのものの)神自身に語らせるという大技できます。

コザ

伊良皆交差点近くのマンガ喫茶で『現代思想』バトラー特集号の鼎談の直し。自分の言いたいことを言うのと、相手の発言にちゃんと対応するのと、両方はなかなかうまくいかないなあ。
読谷の「やちむんの里」。巨大な登り窯の周りに十数軒の工房。手前にはガラス工房「虹」。外から製作現場を眺められるのがすてき。ギャラリーを一つ一つ見ていくとへとへとに。
コザへ。ゲート通り、一番街、パークアヴェニューとうろうろ。この町に昼間くるのがまちがっているとはいえ、とくに一番街のアーケード下は想像以上のさびれかた。小さな資料室「ヒストリート」で往時の写真や米軍グッズを見る。いくつも並んだバーのレジスターにとくに惹かれる。ペルーから来たという日系一世の老人が、大声で管理人と話していた。パッチショップ「タイガーエンブ」でコンピューター刺繍機が一度に6枚のパッチをがしがし作るのを観察、アヒル柄のパッチを買う。カフェ+一級建築士事務所「Simple」でお茶、この手のおしゃれな店は点在している。『沖縄スタイル』のバックナンバーや、フリーペーパー「箆柄暦」http://homepage3.nifty.com/sunsing/piratsukagoyomi.html をめくる。この情報紙、県外の沖縄関連イヴェントを多く載せているのが面白い。9月号の1面はClap Hands 沖縄祭 http://www.claphands2.com/index2.html だ。
パークアヴェニューの突き当たり、コリンザは、10年ほど前に第3セクターで作られたショッピングモール。こういうものがあると入ってみずにはいられない。1階電気街は客より従業員が多く、人がいるのは無料姓名判断コーナーだけ。市民劇場「あしびなー」の前には当月の催し物カレンダーが貼られているが、よく見ると「主催者の要望につき非公開」とか「○○日のリハーサル」という日が多い http://www02.bbc.city.okinawa.okinawa.jp/oki/gyousei/GOAS/sch/schedule.html?pos=GOAS。こういうスケジュール表を一般公開するという神経はどこにあるのか。まったく使われてないわけではないという必死の主張か。
OPF新都心店から、犬の鑑札が落ちていたと連絡。もっと早く気づいてくれよ。那覇へ。「桜坂民芸」で妻のシーサー選びに付き合う、というより妻ががんがん買い叩くのを脇で眺める。夜、ステーキハウス四季ハンビータウン店。予想通り、肉はうまく、サラダとスープとパフォーマンスが余計だった。このへん街一帯の似非ラスヴェガスぶり(ニセモノのさらにニセモノということになるな)、しびれる。

佐喜眞美術館、玉泉洞、島クトゥバで語る戦世

犬と海水浴。気がつくと鑑札がない。
犬をOPF北谷店に預け、佐喜眞美術館 http://sakima.art.museum/丸木位里丸木俊沖縄戦の図」他。本橋成一写真集『ふたりの画家』(ポレポレタイムス、2005)を買う。巨大な亀甲墓を拝み、屋上から基地を見る。隣の幼稚園の運動の時間にかかる音楽は、なぜか「ミザルー」。高速を走ると、墓があちこちに見える。沖縄の墓は大きいから、「建物」に見える。そのうち四角いコンクリートの建物が全部墓に見えてくる。形が似ているのは台風対策ということもあるんだろう。「沖縄では生と死が近い」といろんな人がいうとおり。
玉城のおきなわワールド・玉泉洞。こちらは鍾乳洞さえ見られればよいのだが、チケットはもれなく「文化王国」つき。次々と現れる民芸体験コーナーの合間に、ガラス・黒糖・フルーツと、土産物屋をくぐり抜けていかないと一歩も先に進めない。すばらしい設計だ。玉泉洞は、とにかく大きさに圧倒される。鍾乳石の色合いに変化はないし、アップダウンがほとんどないのでやや単調なのだが、それだけに歩けど歩けど出られない時間感覚の喪失感はかなりのもの。旧日本軍が作ったと思しい階段が、古酒貯蔵に使われている。出口(昔はこっちが入口だったのだろうが)が直接外とつながっているので、洞内の水にフナなどが泳いでいるのが見られる。
平和祈念資料館、しんどい。十年前にも来た妻は、悲惨な戦争写真などが減り、戦後の歴史の部分が拡大しているという。現知事体制下の変化なんでしょうか。佐喜眞で教えられた県庁ロビーでの展示、琉球弧を記録する会「島クトゥバで語る戦世――100人の記憶」。十台近いモニターに、戦争を語るお爺お婆が映る。字幕つき。本(一般には非売)も買う。これ以上説明するより引用したほうがいい。たとえば当時炊事班だった方、

通信部、彼処(あま)んじ炊事さるばー。炊事さぐとぅ、あんしなー首里那覇かい、わったぁおにぎり作(ちゅく)やーによ持(む)たちゃぐとう、なー首里んかい行からんどーりやーに戻(むどぅ)てぃ来(ちゅー)るばー、兵隊ぬ達(ちゃー)が。さくとぅ戦争激しくなてぃや其処(うま)まり来(ちょー)ぐとぅ、もうみな本部にいこうねりやーによ、あんさー本部かい。
私達(わったー)よ8人からよ2人(たい)る残(ぬく)とぅる、全部(むる)自決。よー何(ぬー)りちがやーり、もし捕虜さりねーあぬー手榴弾よ、「これ信管取って直ぐ爆発しなさいね」りやーに命令さっとるばー。

これそのうち東京に来るかな。気がつくと今日はずーっとガマ(洞窟)の日だった。ペットショップに置いてあった海軍のフリーマガジン Okinawa Marine http://www.okinawa.usmc.mil/Public%20Affairs%20Info/News%20Page.html、9月号の1面は、キャンプ・ハンセンからイラクへの出発と、入隊して市民権を早くとれたニカラグア移民の声。めくっていくと殉職兵の葬儀のニュース。いまさらながらここは戦争中である。広告欄には、家族向きディズニーランド・チケット、帰国して家族に久しぶりに会う際のメンタル・サポート・センター、安売りシュノーケル等々。