佐喜眞美術館、玉泉洞、島クトゥバで語る戦世

犬と海水浴。気がつくと鑑札がない。
犬をOPF北谷店に預け、佐喜眞美術館 http://sakima.art.museum/丸木位里丸木俊沖縄戦の図」他。本橋成一写真集『ふたりの画家』(ポレポレタイムス、2005)を買う。巨大な亀甲墓を拝み、屋上から基地を見る。隣の幼稚園の運動の時間にかかる音楽は、なぜか「ミザルー」。高速を走ると、墓があちこちに見える。沖縄の墓は大きいから、「建物」に見える。そのうち四角いコンクリートの建物が全部墓に見えてくる。形が似ているのは台風対策ということもあるんだろう。「沖縄では生と死が近い」といろんな人がいうとおり。
玉城のおきなわワールド・玉泉洞。こちらは鍾乳洞さえ見られればよいのだが、チケットはもれなく「文化王国」つき。次々と現れる民芸体験コーナーの合間に、ガラス・黒糖・フルーツと、土産物屋をくぐり抜けていかないと一歩も先に進めない。すばらしい設計だ。玉泉洞は、とにかく大きさに圧倒される。鍾乳石の色合いに変化はないし、アップダウンがほとんどないのでやや単調なのだが、それだけに歩けど歩けど出られない時間感覚の喪失感はかなりのもの。旧日本軍が作ったと思しい階段が、古酒貯蔵に使われている。出口(昔はこっちが入口だったのだろうが)が直接外とつながっているので、洞内の水にフナなどが泳いでいるのが見られる。
平和祈念資料館、しんどい。十年前にも来た妻は、悲惨な戦争写真などが減り、戦後の歴史の部分が拡大しているという。現知事体制下の変化なんでしょうか。佐喜眞で教えられた県庁ロビーでの展示、琉球弧を記録する会「島クトゥバで語る戦世――100人の記憶」。十台近いモニターに、戦争を語るお爺お婆が映る。字幕つき。本(一般には非売)も買う。これ以上説明するより引用したほうがいい。たとえば当時炊事班だった方、

通信部、彼処(あま)んじ炊事さるばー。炊事さぐとぅ、あんしなー首里那覇かい、わったぁおにぎり作(ちゅく)やーによ持(む)たちゃぐとう、なー首里んかい行からんどーりやーに戻(むどぅ)てぃ来(ちゅー)るばー、兵隊ぬ達(ちゃー)が。さくとぅ戦争激しくなてぃや其処(うま)まり来(ちょー)ぐとぅ、もうみな本部にいこうねりやーによ、あんさー本部かい。
私達(わったー)よ8人からよ2人(たい)る残(ぬく)とぅる、全部(むる)自決。よー何(ぬー)りちがやーり、もし捕虜さりねーあぬー手榴弾よ、「これ信管取って直ぐ爆発しなさいね」りやーに命令さっとるばー。

これそのうち東京に来るかな。気がつくと今日はずーっとガマ(洞窟)の日だった。ペットショップに置いてあった海軍のフリーマガジン Okinawa Marine http://www.okinawa.usmc.mil/Public%20Affairs%20Info/News%20Page.html、9月号の1面は、キャンプ・ハンセンからイラクへの出発と、入隊して市民権を早くとれたニカラグア移民の声。めくっていくと殉職兵の葬儀のニュース。いまさらながらここは戦争中である。広告欄には、家族向きディズニーランド・チケット、帰国して家族に久しぶりに会う際のメンタル・サポート・センター、安売りシュノーケル等々。