大山倍達正伝

大山倍達正伝

大山倍達正伝

この本が分厚いのは、伝記が直線的に流れないから。大山自身の本や語り、『空手バカ一代』の相互に矛盾する情報の分厚い藪をくぐって、なんとか大山倍達こと崔永宜(チェ・ヨンイ)の実像に迫るのに、一々手間がかかるためだ。元『新極真空手』の編集者だった著者らは、とりあえず大山のことばを最初から疑うことはせず、それが真実である可能性を捨てずに調査を続けていく。そこからたとえば(昔からみんなふかしだと思ってた)早稲田入学は事実である、なんてことがわかる。とくに終戦から七年間、空手の修行をしながら建青の民族運動(と朝連との喧嘩)にあけくれる時期が面白い。あたりまえだが「日本人・大山倍達」の自伝語りには抜け落ちていた時期だからだ。建青でつるんでいた後の東声会会長・町井久之が、後の回想では日本人ヤクザとして現れるとか、朝連との喧嘩の模様が、日本女性に手を出した米兵を殴り倒したという回想に流れ込んでたりとか。
書評ではたいがい、いかに「伝説」が嘘の上に嘘を重ねて作られたか、「牛との格闘」もアメリカ遠征もそんな華々しいものではなかった、というとこが強調されてるようだが、同時にその嘘を隠し通そうともしていない大山のあっけらかんとした感じも印象的。力道山がとにかく自分が朝鮮人であることをひたかくしにして、友人の焼肉屋にすら深夜にしか行かなかったくらいなのに、大山は稽古の後にはキムチ鍋を弟子にふるまい、すでに1954、55年頃の『オール讀物』や『丸』で、自分の出自を明かしている。メディア・スターとして不特定多数の観客を相手にしていた力道山と、目の前の弟子たちをおもに相手にしていた大山ではそりゃあ態度も違ってくるだろうが、大山のなんとなくのほほんとした愛嬌がよく出ていると思う。