異物

ウラゲツ☆ブログ http://urag.exblog.jp/ の8月1日のエントリーで 『(見えない)欲望へ向けて―クィア批評との対話』 の帯文と装丁が褒められていて、嬉しい。装丁はわたしの手柄じゃないけど。帯文は「ここ、帯に使えないかな」と思いながら書いたあとがきの一節を、編集のIさんがぴたりと選んでくれたものだ。中味はともかく、たたずまいはいい本になったなあ、と。

異物

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済州島出身者が多く住む大阪の町。ここにも新たに移住してきたコリアンが増えている。以前からここに住む在日はその前でどうふるまうか……。とだけ書いても、面白さが伝わらないな。ミステリ仕立てだが、ミステリ仕立てであること自体が中盤までわからない。細かいカットバックと複数視点で積み上げられており、その叙述の「ミステリアスさ」がスリリング。ふつうのエンタティメント小説であれば、このような組み立てはたいがいどれか一人の人物、あるいは一つのトラウマ的事件を焦点とするかたちに収斂していく。ここでは、朝鮮系二世でめっぽう喧嘩の強い正義漢、池山真人と、過去をもつ子持ち美女、生田真代との関係がそれにあたるのだが、とにかくどれも個性的で破壊的なキャラのあいだを次々視点が動いていくために、それが見えにくいところがよい。いちおう中心テーマは、「池山を駆り立てている正義とはなにに基づくなにに対しての正義なのだろうかというかすかな疑念」(18)への答えなのだが――いや、なにを書いてもネタばらしになる構成なので、この程度しか書けないのです――それだけに収斂してしまわない。
大阪弁の魅力が満載。でもとくに凄いのは、じつは東京生まれの子どもの視点で書かれた部分。完全に大人の語彙で、過剰に論理的に、しかしまちがいなく子どもの意識を描いている。
どうしたって中上健次と比べられてしまうのは作者も大変だろうが、読んでるあいだはそんなことは忘れていた。