市民参加型社会とは

会議、会議。ごめんなさい。
2000年度卒ゼミOGと飲む@つるかめ。既婚一人、未婚三人。その三人のうち一人は歯科衛生士の勉強中、一人は秋からファイナンシャルプランニングの資格学校へ、一人は来週からカナダのカレッジに留学だ。女27歳、人生考えどきですよ、資格くらいとっとかないと、いまのままだと負け犬まっしぐらだし、と口々にいう。わたしの職場の場合、学生の親はそこそこ経済的に豊かであることが多い。年齢の近い男と結婚して自分が仕事をやめてしまえば、たぶん生活水準は下がる。男ってそういうこと全然考えずに結婚したがったりするのよね、等々。

愛知万博にさまざまのかたちで「市民」として関わった人々の文章を集め、編者二人が総論を書いている。多くの書き手が研究者であることもあり、どの章も私的な語りにおちず、冷静な分析をしているのが印象深い。紆余曲折の末に設置された、愛知万博検討会議という「水準の異なる諸団体・機関――推進側と自然保護団体側の双方について――が、いずれも正式な参加資格を承認された当事者として一堂に会することができる場=公共空間」(町村、60)の姿が、こうして浮かび上がってくる。この会議が画期的なものであったことはまちがいないし、結果、当初バブル期に構想された新住宅地開発プランは修正され、海上の森の多くが守られることになった。環境保護派は、BIE(博覧会国際事務局)の外圧を利用して、一定の勝利を収めた。しかし本全体から感じ取れるトーンは、楽天的なものではまったくない。巨大なプロジェクトとはそうしたものだが、誰一人として100%自分の意思を通せるはずがない、交渉につぐ交渉の複雑ではてしのないプロセス、いったい出口があるのだろうかと絶望しかかってしまうようなプロセスに呑みこまれた経験が、ここでふりかえられているものだ。