Ave

ヴィクトリア朝研究会二日目。

Men of Blood: Violence, Manliness, and Criminal Justice in Victorian England

Men of Blood: Violence, Manliness, and Criminal Justice in Victorian England

文献改題・玉井史絵。裁判記録と報道をおもに追った社会史。18世紀までの法が財産権をより重視していたのに対して、世紀が変わると人に対する危害への刑罰が重くなっていく。1855年に売春婦に対するレイプに有罪判決が出たことを初めて知る。被害者の素行ではなく、行為そのものが問題とされるようになったということだ。murder か manslaughter(故殺)か――後者のほうが罪が軽い――を分けるポイントは、もちろんまず殺意がないことで、そのため世紀の前半は凶器を使えば murder、素手で殺したら manslaughter、みたいな判断がわりに多いが、1860年代以降は素手でも殺人罪が適用される例が多くなるらしい。このへん、労働者階級の犯罪に brutal な要素をみて重く裁く、という傾向とも関連があるらしい。
Hail And Farewell!

Hail And Farewell!

回想録三部作の第一部 Ave (1911)読書会、案内人・吉田朱美。わたしが読んでいるのはBoni & Liveright の1923年版全集を1983年に臨川書店がリプリントしたもの。ボーア戦争前後の時代、おもにイェイツ、レディ・グレゴリー、作者の従兄弟エドワード・マーティンらが関わるアイルランド文芸復興運動の周辺を語っている。章ごとにロンドン、ダブリン、エドワードの領地があるアイルランドの田舎、サセックスワーグナー詣でのバイロイト、といった具合にぽんぽん場所が移動していくのが特徴か。
アイルランドには愛憎なかばという感じ。イェイツたちはゲール語で文学を書くことをまじめに考えている。ムーア自身、すでにイギリス語は使い古されてしまっていて、若いゲール語に可能性がある、という議論をしている。そうはいっても彼自身もイェイツも自由にゲール語が使えるわけではないし、高度な思想など表現できまい、といった醒めた思いもムーアには強い。最終章は、イェイツとの共作詩劇の舞台裏。特定の時代を連想させる語を嫌ったイェイツは、劇をまずムーアがフランス語で書き、それを英語に直し、ゲール語のできるオダナヒューがそれをゲール語にして、さらにそれをレディ・グレゴリーが英語に訳す、という創作法式を考える。結局実現しなかったこの劇の、フランス語で書かれた部分が長く載せられている――「われわれみたいな狂人が現にいたことを読者に納得してもらうため」(271)に。
三十年後に共和国初代大統領になるダグラス・ハイドとはよほど肌が合わなかったらしく、「ヒゲがセイウチみたい」「ハイドなんてイギリスの名前じゃないか」とか言いたい放題。終盤、ゲール語連盟大会でハイドとある講演者がその場で取っ組み合いの喧嘩を始めるあたり、アイルランドってのはいつまでもこんな国なのか、というやるせなさが伝わる。イェイツは真の天才と認めているが、暖かい友情といったものではない。田舎で二人で散歩する場面では、詩作に没頭して会話もほとんどせず、まわりの風景も見ないイエイツが「インド人のよう」と記される(174)。ほとんどコミュニケーションできない、冷たく、観念ばかりの人、という描き方だ。ムーア自身もずいぶんつきあい辛い人だったんだろう。エドワードの劇を酷評し、相手がそれにあまり腹を立てないのに腹を立てて、「こいつは本物の芸術家じゃない」と言ってみたり。ボーア戦争が始まると、それまでもっていたイングランドへの愛を急速に失っていく。大好きだったサセックスの田舎の情景も、シェリーの詩も、なんら感動を与えてくれなくなる。いったん離れたアイルランドに向かう一つの理由は、この反戦気分だったようだ。開戦直後にピカデリーを歩いて、道行く人の顔がみな「羊のよう」で「金への欲にまみれた胸糞悪いコスモポリタニズム」をしめしている(222)という箇所も面白い。コスモポリタニズムということば、どっちかというと「根無し草」的な悪い意味なんだろうが、それが帝国主義批判に使われているような。
セクシュアリティについてはわりに赤裸々。女中を愛人にしていた親戚の話、生まれながらの独身者の癖に壮麗なゴシック館を建ててしまったエドワードへの皮肉など。とくに印象に残るのは、ロンドンの下宿での洗濯女――『エスタ・ウォーターズ』にずいぶんネタを提供した人らしい――との会話。この労働者階級の敬虔な女は、離婚は殺人と同じくらい罪が重いという。捨てられたほうは結局死ぬのだし。ムーアは、いやイエス・キリストサマリアの女を許したじゃないか、と。これに対して女は "You must remember he was only a bachelor" と答えて、自分が変わったことを言ってるとは微塵も思わないのだ。
その後『ギッシングを通してみる後期ヴィクトリア朝の社会と文化』の分担執筆者が四人いるので論集について雑談。「えん」で馬鹿話。