Masculine Domination

職場のメールボックスの隅から、3ヶ月前に貰っていて気づかずにいた手紙が出てくる。オースティン協会設立準備会の案内と出欠の問い合わせ。いやどっちにしても出られなかったんですが、返事も差し上げませんで、M先生、すみません。

Masculine Domination

Masculine Domination

斜め読み。原著1998。第一章はアルジェリアカビール社会の人類学的記述、第二章はヴァージニア・ウルフ灯台へ』の分析と、相当隔たった二つの対象にどちらも強固な男性支配体制の存続を見るもの。あるところで「ブルデューはここでジュディス・バトラーを批判している」とされていたので目を通してみたが、バトラーは注に一回出てくるだけ。つまりは『ジェンダー・トラブル』でのジェンダーは、ドラァグなどの方法で、演じ脱ぎ捨てることが可能な役割のように扱われているが、性差別の構造はもっと強固でそんな簡単には逃げられない、というだけの話で、ああそういえばこんなふうにバトラーが批判されていた時期もあったなあ、とむしろ懐かしい気分になった。たしかに『ジェンダー・トラブル』には、そうした「誤読」を誘発する部分がある。バトラー自身はそうして誤読されるのをどこかで楽しんでいたのじゃないかという気もするが。
わたしにとっては、本編よりも付録のエッセイ「ゲイ・レズビアン運動のいくつかの問題」がよかった。マイノリティとしてはっきり認識されることと、マイノリティではなくなることを同時に希求する、つまり visibility と invisibility を同時に求めるというセクシャル・マイノリティの運動の避け得ないディレンマが、すごく明快にスケッチされている。