レヴィナス

今日犬が壊した本↓

レヴィナス―移ろいゆくものへの視線

レヴィナス―移ろいゆくものへの視線

「他者」をあくまで主体のなかの<他者>と考えて進むのか、もっと経験的な、目の前にいる他人を、自分のなかのイマージュ――イマージュといっても自分にコントロールできるわけではなくって、だからこそ<他者>なのだが――とは違ったかたちで語ることができるのか、ということをずーっと考えているが、問題として虚偽のような気もする。