Mourning Theory

雷雨。家にひきこもり。ゲイ・レズビアン・パレードはでも雨が上がってから決行されたみたい。
Greg Forter, "Against Melancholia: Contemporary Mourning Theory, Fitzgerald's The Great Gatsby, and the Politics of Unfinished Grief" Differences 14-2 (Summer 2003): 134-170。ミッチャーリッヒ以後のメランコリー論を要領よくまとめたイントロがとても便利。ラカプラも同じことを言っているが、エリック・サントナーも1990年のStranded Objects: Mourning, Memory, and Film in Postwar Germany で「構造的な」喪、つまり言語の限界とか根源的な主体の不完全性とかと、「歴史的な」、たとえばホロコーストにおける喪を混同することを厳しく戒めている。マイケル・ムーンとか、その後のマイノリティ文学系のメランコリー論がけっこう批判されていて、その根拠は、メランコリーはそもそもなにが失われているかが忘却されている状態を指す、という点。一般的な「喪」の排除機能によって、マイノリティの死者が「忘却」されている状態がメランコリーだ、とはだから言えないというのだ。逆に、マジョリティにとってはその状態がメランコリーになるのだろうが。本論では、ギャツビーの男性的主体がモダニティのなかで喪失され忘却される、という路線みたい。