Melancholia or Convivial Culture?

学会運営上のミス一つ。

After Empire: Melancholia or Convivial Culture?

After Empire: Melancholia or Convivial Culture?

おもに後半の二章。第三章はメランコリー論。いまだにチャーチルと二次大戦の勝利(そして66年ワールドカップ)の栄光が繰り返し語られるイギリスでは、戦後の移民の存在を疎み、かつての帝国の栄光を懐かしむメランコリーが蔓延している。ギルロイの焦点はその国家意識と人種差別とのいろんなレベルでの絡み合いにあるのだが、こちらにはこれが、十九世紀植民地時代の、文明拡大の使命みたいなものに内在する憂いと対比されているところが面白かった。現代の差別的イングランド白人が郷愁をもってふりかえる帝国が、すでに多民族的存在であったわけで。マシュー・アーノルドの「ドーヴァー海岸」もこの視点で読まれている。いまわたしが関心のあるメランコリーは、大英帝国が拡大した結果、どこまでがイギリスか、どこまで社会的責任をとるべきかわからなくなってしまうという、ヴィクトリア朝研究では Amanda Anderson とかが論じている事態にあるのだが、これはちょっとギルロイポストコロニアル・メランコリーの話とは違うか。Postcolonial Melancholia (Wellek Library Lectures) も読まないといかんのでしょうな。
じつはふだんイギリスのジャーナリズムやポップカルチャーを追っていない人間にとって、ギルロイを読む楽しみって、リチャード・レイドの生い立ちの確認とか、アリ・Gという人が面白いらしいとか、その他知らない文化アイコンに気づかせてくれることで、町山智浩の本を読むのと変わんない。カルスタというものは、どちらかといえば「外国人」にとって「有用」であったりするということだ。
追記:上記二冊のギルロイの本は同じ中身であるらしいことがわかりました。イギリス版とアメリカ版でタイトルが違う、ってややこしいことすんなよ、もう。