Did the Supreme Court Come Out?

某大学の学位請求論文、副査として原稿を読み、コメントを送る。日本におけるエイズと男性同性愛者の主体形成を分析したもので、資料的にも充実。書かれるべきものが書かれたという感じ。これについてはまた公開審査のときに書きましょう。
Susan Burgess, "Did the Supreme Court Come Out in Bush v. Gore?: Queer Theory on the Performance of the Politics of Shame" Differences 16-1 (2005 Spring), 126-46. 司法はあくまで表向きは法を扱っているが、じつは露骨に政治に関わっている。それを認めない判事たちは、いわばクローゼットのなかにいる。自分たちが「じつは政治をやっている」と認められないのは、「恥」の感覚があるからだ……。2004年の大統領選集計の判決をカムアウト問題として読むというのは、ちょっとした思いつきジョークっぽいが、クィア理論の応用編として楽しい。とくに、フロリダ州裁の判決を「政治的であって法の範囲を逸脱しているが、それはときにしかたがないことだ」と言いつつ、自分たちもじつは同じことをする、という連邦裁の構造を、寛容への訴え、「同性愛者であることはべつに悪いことではなくって、しかたがない」という言説と平行させるあたり、面白い。もちろんひねりは、最高裁判事たちが「わたしたちは政治をやっている」とカムアウトすればいいというものではないところにある。だからこの論文は、クィア理論としてはアイデンティティを固める方向性に批判的だ。じゃあどうすればいいか、というと、パロディ的モードの重要性、といったことを示唆してなんとなく終わっていて、よくわからないので、著者の他の本を読まないといけないのかも。