The One vs. the Many

会議。英語の成績つけ、採点そのものよりもサーバー内の平常点のチェックに時間がかかる。

The One Vs. the Many: Minor Characters and the Space of the Protagonist in the Novel

The One Vs. the Many: Minor Characters and the Space of the Protagonist in the Novel

小説には主人公がいて、脇役がいる。でも、なにがその主人公を主人公というべき存在にしているか、なにをもって脇役は脇役になるか、ちゃんと説明しようとするとただごとではない。誰もがわかっているつもりで言語化しなかったことを言語化したこの本は、たぶん長くこのテーマのスタンダードになるのだと思う。章はわずかに四つ。『高慢と偏見』、ディケンズの目立ちすぎるマイナー・キャラについて、『大いなる遺産』、最後はどちらが主役かわからない二人の重要人物を配した『ゴリオ爺さん』。
じつに明晰で歯切れのいい散文だが、正直いって長すぎ。フランコモレッティなら同じ内容を3分の1で書くんじゃないだろうか。というわけでかなり飛ばし読みました。しかし『高慢と偏見』のエリザベス以外の姉妹たちがどういうところでマイナーであるか細かく論じたところ、『ピクウィック・ペーパーズ』の忘れがたいトリックスター、ジングルや、『大いなる遺産』のウェミック――彼は世界文学における脇役の王様だ――が、なぜあれほど強い印象を残しながらあくまでも脇役なのか、を分析するところ、あまりにも的確。数多い引用のセンスの良さにもしびれる。『ジル・ブラース』でジルが物乞いに出会うところの分析、内的論理をもった主人公に、外部から押し入ってくるマイナー・キャラという図式の検証も、鮮やか。
フラットな、重層性のないキャラは、たいがい召使のような職務を限られた労働者階級である、といった指摘もあるが、基本的には非政治的。政治批評の時代が一回りして、こうしてある意味フォーマルで非歴史的な仕事に若く(著者は1970年生まれ)優秀な人がとりくむようになったのだなあ、と思う。そのこと自体についての政治的判断は、いまやる自信がない。