ワールドカップ総括

火曜、会議一つ。今日は1年ゼミ、レポート返却。ほぼ丸写しは2本。「非人間性」という日本語を理解しない学生がいたのに少し驚く。文学理論、末廣幹「ヒュドラーとの闘争」、新歴史主義。会議、会議。午後の会議が4時間を越える。学部長が脱線してジョークを言っても誰も笑ってはいけない旨、組合で決議すべきだと思った。ミナリで職場の飲み会、チャミスルばかすか。
Jean Izoulet,La cite moderne。おもにイントロ。たまにフランス語の文献を読むのは、ふだん学生が英語を読むのにどれくらい苦労してるかを体感するという意味で悪くない。社会有機体論を、かつてのボディ・ポリティックの方向に振り戻し、エリート主義を主張している。
ワールドカップの総括ですが、一言でいえば大人の大会だった。番狂わせはほとんどなく、決勝を除けば、PK戦も含めて、勝つべきサッカーをやれたほうが勝ち続けた。あとは①やたら(八百長でチームが降格する)ユーヴェの選手が活躍した。②四年前に韓国で苦渋を舐めたロートル選手が想像を超えてがんばった。③ラウンド16以降は、守備的MFと最終ラインの能力を攻撃的な選手の能力が超えない、といったことか。国際大会でもユーロ2000のときには、とても破れそうにない守備ラインを打ち破るだけの強力な攻撃を備えていたチームが複数いたと思うが、今回はセットプレー以外の打開策が見当たらなかった。カンナヴァーロは神がかっていたし、フランスの守備、とくに相手がサイドでボールをもったときに最終ラインと中盤の守備陣が一斉に連動してラインを下げるときの動きは、ほとんどバズビー・バークレーじみていた。とはいえ、クラブならあそこから点をとれるチームがあるだろうし、ナショナルチームでも6年前にはあったのだ。スーパーなプレー+それを支える正確なプレーが三つくらい続けば、ミスをしない屈強な守備が破れるときもある。しかしスーパーであるべき選手は、老いぼれジダンフィーゴを除いて、みんなフィットしていなかったか、彼らを支えるチームの連携が無能だった。クラブと違って、二ヶ月くらいプレーしてるうちに立て直す、というわけにいかないからなあ。