カルチュラル・タイフーン@下北

カルタイ2日目@下北沢成徳高校。
視聴覚室 "Cultural Politics of International Art Exhibitons, Biennales and Triennales" フロア20名程度。遅れていったらプログラムと顔ぶれが違っていたので、司会者が誰かわからず。難波祐子は、横浜トリエンナーレの内情報告。毛利嘉孝は、美術館の百貨店化という流れをとりあえずしょうがないものと認識しつつ、別なやりかたとしてart online の活動紹介など。ハコがないところで展覧会がありえるのか、という問いからスタートしているが、言われてみればある程度の長さのヴィデオ・アートは、展覧会にかけてもみんなちゃんと観ているとは思えない。ウェブのほうがちゃんと観られるということになりそうなのだ。コメント・住友文彦。ビエンナーレなどについては、批評の量が十分でないのでは、など。もう一人のコメンテーター(名前聞き逃し。「いまやってること宣伝します」と言っておいて、ギャラリーの名や自分の名前を小声で早口にしか言わない人がこういうときには多いんだが、どういうものか)は、毛利のようなやりかたはアートそのものになにをもたらすのか、と聞いていたが、大文字の「アート」よりも、多様なものを吸収して寄り集まって騒ぐことのほうにもっと興味があるのだ、という、らしい答えだった。
体育館では Urban Typhoon Workshop Panel、午後は Save the Shimokiazawa の超多国籍メンバーが次々登場。どこまで内輪でどこまで客かさっぱりわからないが、70人はいたと思う。こちらは出たり入ったり居眠りしたりしていたので(すんません、眠かったので、パネラーに知り合いがいない暗い部屋にいたわけです)コメントするのもなんだが、CaTのお馬鹿企画(下北の自転車置き場に「ここパーティー会場です」と紙を貼って、実際にそこで飲みだす、とか、デッドスペースにお地蔵さんを置いてみるとか)がすばらしい。
「テレビドキュメンタリーと都市――工藤敏樹ディレクターの作品から」。司会・吉見俊哉NHKの河 厚徳ディレクターのイントロつきで、「ドキュメント 新宿」(1970)のダイジェスト版を観る。フォークゲリラや西口の雑踏の上に、関東尾津組の大親分や、都の都市計画担当者、青森出身で元防空壕に住む老婆の語りなどが、なんの解説もされずにかぶさる。尾津組の闇市時代の「光は新宿から」というコピーがすごい。鳥羽耕史は、朔太郎「悲しき新宿」や石隅晴之輔(字は違ってるような)などの戦前からの新宿表象の変遷のまとめ。丹羽美之は、64年に撮り始めた工藤敏樹をTV第二世代として、方法論の位置づけ。彼らは第一世代のドキュメンタリーに比べて、はるかに解説的・説教的でない。またフィルモ+デンスケからエクレール+オグラというテクノロジーの変化によって、音の同録が可能になったことで、ドキュメンタリーの語り口自体が変化している。ただし「新宿」ではあえて同録を使わないところにまた意味がある。高橋ユリカのコメントは、西口広場が「広場」ではなく「道路」として扱われたことを強調、広場的なものが現代東京で成立していないことを指摘していた。「新宿」は、あくまで地方(青森)と東京とを対比し、失われてしまった地方コミュニティを意識して作られているところが面白い。新宿そのものは原風景の地位を与えられていないわけで、そこがすごく時代を感じさせる。
視聴覚室で港千尋監督『チェンバレン厨子甕』上映。しかしここの視聴覚室、なんと吹き抜け側の窓に暗幕もカーテンもない!。どういう視聴覚室だ……。この映画についてのセッションは明日あるので、そのときに。
ポルトガル0−0イングランドイングランドが負ける試合は、いつもいい試合だ。8年前のアルゼンチン戦の再現みたい。