ティーチイン沖縄@カルタイ

カルタイ三日目@成徳高校、体育館は連続ティーチイン沖縄第18回、フロアは5,60人か。
パネル「沖縄文学の現在――帝都のEDGEとしての沖縄」。司会・新城郁夫。我部聖は、癒しの場としての沖縄イメージの消費から始めて、又吉栄喜『波の上のマリア』の批判的読解。米兵にレイプされた娘が男と再会したとき、彼女の「澄んだ目には『すべてを許す』という光が宿っていた」とあるのだが、本人がなにも発話していないのに語り手が勝手に和解を語るというこの部分に、なしくずしの「合意」に連なる隠蔽構造を読みとる。この10年間の沖縄映画の全リストなど、資料も充実。渡邊英理は、沖縄で50代男性の自殺が増えているという仲里効の問題提起から始めて、崎山多美「見えない町からションカネーが」の分析。この短編は死んでいく「ママ」に対する娘二人の追悼のかたちをとっているのだが、やがて娘たち自身が死者であることがわかるのだ。佐藤泉のコメントでは「沖縄(の女たち)にとって、未来はすでに裏切られたものとしてある」ということばも出た。仲里、新城両氏のコメントを通じて浮かんでくる問題は、まず1995年の少女レイプ事件を一つの転換点とする時代区分をそもそもやっていいのか、またそこでは、他ならぬ少女の身体性が政治的に動員されてしまってはいないか、という意識だ。
聞きながら、池上永一『レキオス』を思い出して、オルタナティヴというかパラレルな世界の表現についてぼんやり考えていた。佐藤泉は、冷戦終結以降に「ありえたかもしれない――たとえば安保が再定義されなかった――現在」の意識を強調していた。そうした想像はわれわれにとってとても重要だが、いっぽうで我部が批判する「許し」というのは、違った意味でオルタナティヴな世界(実際にあったことがなかったことにされる世界)へのむきだしの欲望の表れだ。許しというのは、とても凡庸に、現実的に、オルタナティヴな現在を書き換えることであり、文学的想像力なんていうものになにか意味があるとしたら、そうした「現実的な」希望を批判することだろう。まあ、ここで文学を擁護しなくてもいいのだが。
午後は港千尋チェンバレン厨子甕』をめぐって、監督自らと仲里効のコメント。司会・本山謙二。映画は、港がオックスフォードの博物館で出会った厨子甕に惹かれ、その起源を沖縄に辿っていくもの。亀甲墓などの情景に、その厨子甕をイギリスにもたらした日本研究者バジル・ホール・チェンバレンについての語りがかぶさり、甕に収められた遺骨の研究者や、現在一人だけ残る厨子甕職人のインタヴューが続く。とくに、基地が覆い隠してしまったかつての沖縄の地図を、古老たちの話から再現しようとするプロジェクトが興味深い。フロアからの質問にもあったが、最初チェンバレンという人物への関心が強くあり、当然「移動」や「異なる場所に置かれたモノの記憶」といった港千尋らしいテーマが前面に出ていたのが、沖縄で取材を続けていくうちに、沖縄の土地と基地の問題系に飲み込まれていくという感じ。オックスフォードの厨子甕は移動して生き残ったが、現在残る多くの亀甲墓は基地内にあり、撮影はできない。映画は、まったく移動していないがゆえに失われてしまっているものへと、しょうがなく引き込まれてしまっていっているのだ。2年前のもっと短い版を沖縄で上映したときには、目取真俊から「厨子甕なんて金持ちだけのものだ。北部とか与論とか、他のところをもっと見ろ」と批判されたとか。
引き続き、『チェンバレン厨子甕』にも顔を出しているパフォーマンス・アーティスト、山城知佳子の「オキナワTOURIST」の上映。白い紙袋をかぶって踊る「墓庭エイサー」のゆっくりとした動きがとくに響く。国会議事堂前で沖縄観光アピールを絶叫する「にほんへのたび」には笑わせてもらいました。このあと山城作品をめぐる討議と車座が続いたはずだが、ばて気味のため逃亡する。