わが谷は緑なりき+不熱心な教師
1年ゼミ『駅馬車』。ネイティヴ・アメリカンはこの映画でどのように描かれているか、という質問に対して、「悲惨な過去が描かれていて、アメリカの歴史を批判している」という答えがくる。一瞬のけぞるが、たしかに学生からみれば、この映画は痛快な娯楽作などではなくて、シリアスな問題作なのかもしれない。それ以外は低調。『わが谷は緑なりき』冒頭と『天空の城ラピュタ』を見比べる。文学理論、テクスト論とテーマ批評。『わが谷は緑なりき』『リオ・グランデの砦』『捜索者』の白いエプロンを観る。
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わたしは学期中でも、授業に全力を注ぐということがあまりない。最大の理由は、それをやったら絶対学生を憎むだろうからだ。教員として尊敬すべき人を見ていると、彼らは自分がやっていることに学生がついてこない場合があっても、そんなこと気にしないか、あるいはそれは自分のせいだと反省するか、という反応をとるのだが、こちとらそこまで人間ができていない。使える時間とエネルギーを全部授業に使えば(それはほんとうに簡単なことだ)、「なんで俺がここまでやってんのにお前らは……」みたいな気分になることはわかりきってる。で、そうなったら教育効果も期待できない。こちらが向うを嫌いなら、ふつう向こうもこちらを嫌いになるはずで、そして人間は嫌いな奴のいうことなんか聞かないからだ。まれに、学生に嫌われつつ畏敬される、というカリスマ的教員も、とくに年配者にはいるけれど、わたしには無理だし。こういう態度は、ダメな教員とダメな学生が傷を舐めあってるということで糾弾されますかね。