Post-Darwinian Controversies

論集『ギッシングを通してみる後期ヴィクトリア朝の社会と文化』の「科学」の章を書き始める。案の定、本論がなくて注釈的解説を書いていくと規定枚数を使いきるような気が。企画として、もともとそれでいいのかもしれないが。クリスチャン・ダーウィニズムについては、手元にある本では James R. Moore, The Post-Darwinian Controversies (Cambridge UP 1979) がいちばん詳しい。ここでは、スペンサー流というか、あらゆるものはとにかく進歩するという視点に立って、進化論を定向的にうけとり、その設定者を神、最上の結果を人間と考える態度を Christian Darwinisticism、もっと進化のランダム性をまじめにうけとってなおかつ信仰と両立させようと頑張る態度を Christian Darwinism と呼んで区別しているのが参考になる。ただ、この区別自身があまりすっきりしていないし、単純に文体がすごく読みづらいし、フランスのことはまったく触れられていない。(ギッシングが『流謫の地に生まれて』で槍玉にあげているのはフランスのロイシュの本だ。)いつでもホットなテーマだから、この後なにかいい本が出ていそうなものだが、はて。
頭痛。ゼミ、Dracula chaps. 4,5。フランコモレッティの吸血=搾取議論の解説など。卒論ゼミ、Sさんのマイケル・ジャクソンモータウン25周年ライヴの際の「ビリー・ジーン」や「スムーズ・クリミナル」のクリップを見る。マイケルのクリップって、たとえばマドンナみたいな政治的解釈がやりやすいものではないので、料理が大変そうだ。