故国喪失についての省察

イード『人文学と批評の使命――デモクラシーに向けて』(というタイトルになりそうです)の翻訳校正。

故国喪失についての省察〈1〉

故国喪失についての省察〈1〉

拾い読み。『人文学と批評の使命』が「理論編」なら、こちらは「実践編」。London Review of Books や Raritan 初出のエッセイをまとめたもので、ほとんどは書評として書かれている。いわゆる理論的な仕事より、こちらのほうがサイードのかけがえのなさを証明するものじゃないだろうか。オーウェルに対する批判的態度とか、「ああサイードはこういう風に見ているんだ」と思いつつ読むという経験、敬する批評家が個々の事例にどう反応するかを楽しみに読むという経験は、日本の文芸批評ではふつうのことだが、英語ではめったにお目にかからない。人文批評が専門分化してしまっているせいだ。理論的道具立てをほとんど用いずにテクストに向かい合い、あくまでエッセイという融通無碍なかたちで書き続けたR・P・ブラックマーの姿勢を高く評価する文章にも注目。サイード自身のそうした試みが結実したのがこの本というわけだ。読んだ範囲では、ヘミングウェイ『午後の死』『危険な夏』を論じた文章が、情報誌的文体、男性性といったテーマと作家の伝記的要素、自分で見た闘牛の記憶、などを混ぜ合わせて、エッセイとしか言いようがないものとして美しい。