The Evolution of French Liberalism

英語。特殊講義、ワンセックスモデル。

セックスの発明―性差の観念史と解剖学のアポリア

セックスの発明―性差の観念史と解剖学のアポリア

William Logue, From Philosophy to Sociology: The Evolution of French Liberalism, 1870-1914 (Northen Illinois UP. 1983)。十九世紀後半からデュルケームにいたる、フランス・リベラリズム思想史。とくに5章の「社会学リベラリズム」を中心に。なんとなしの予想通り、フランスにはスペンサーのような徹底した自由市場派はいなかったし、ソーシャル・ダーウィニズム英米ほど力をもたなかった。みんな国家の力をある程度認めて位置づけ、しかし王制にも社会主義にもいかない――となると、そもそも中間志向というか、どっちつかずの感じがある。実際この本は、Adolphe Franck, Jules Simon 他、第三共和制期に、リベラリズムでありながら宗教の力の維持も主張した「折衷派」の記述から始まっている。
第5章は、コントとデュルケームのあいだの時期の初期社会学者たち、とくに生物社会学をとりあげている。Alfred Espinas (1844-1922) はとくに面白い。彼はスペンサー的アトミズムはアナーキズムにつながるとして退け、「個人は社会の産物」とした。しかもこれが進化論と結びついている。つまり動物が人間に進化し、人間社会が進化し複雑化する(このあたりはスペンサー的)ことの結果として、「個人の自由」という観念が初めて生まれる、だから個人は社会と対立するはずがなく、個々人の良心と彼のいう「集合良心」は調和する、というのだ。
ジャン・イズレ (1858-1929) は、新たな市民宗教を主張したいわば汎神論者であったという。デュルケームの弟子が増えるなかで、晩年の彼がまったく影響力を失ったのも無理はない。彼のモデルでは、社会の個々人は、「化学的連帯」によって固く一つに結びついており、しかし生物に脳が必要であるように社会には(宗教的)エリートが必要である。彼はカーライル『英雄論』や、エマソン『代表的人間』、それにセオドア・ローズヴェルトの翻訳者でもあった。「平等主義は社会を殺す」というわけだ。ギッシングがイズレを利用している Our Friend the Charalatan は、しばしば『流謫の地に生まれて』のスケールを下げた再話だといわれるが、イズレが宗教を重視しているのならますます両者はそっくりだ。どちらの主人公も、成り上がりのために、聖職という閉鎖的ではあるがその内部では階級を越えて出世の道が開かれる職業を選ぼうとしているわけだから。