救貧院とブロードサイド

ヴィクトリア朝研究会二日目。Nさん、Martin Chuzzlewit の男性看護。Nさんはジェンダー論として男による看護を扱っていきたいということだが、それをやると十八世紀に遡らざるを得ないんじゃないか、という話になる。この小説ではマーク・タプレーがマーティンを看護するが、二人は主従関係で、主人が倒れたら当然従者が看護することになる。(後でマークのほうが倒れてマーティンが逆に看護するのがパターン破りといえる。)主人と従者の関係を論ずるとなると、ヴィクトリア朝よりももっと前のパターンを見ていくべきじゃないかと。Martin Chuzzlewit は1844年で、イギリス小説の正典のなかでは、古典的な主従ペアが出てくる最後の作品じゃないかと思う。後のP・G・ウッドハウスやドロシー・セイヤーズだと、すでにモードがお伽話的になっている。十九世紀後半の、従者の出てくる大衆小説ってどんなものがあるんだろう。
Kさんの発表は、Oliver Twist の救貧院 workhouse のシーンの悲惨さの滑稽な誇張ぶりと、当時のブロードサイド、フォークソングの似たようなレトリックを比べるもの。貧乏な子どもがスープに煮られて食べられちゃう話とか。唄つき。とくに The Daleman's Litany という、田舎を離れて街から街へと移り住み働き続ける労働者の悲哀の唄、「サウンド・オブ・サイレンス」にそっくりで、なかなか泣ける。

Folk Songs Of Olde England, Vol. 1

Folk Songs Of Olde England, Vol. 1

The Music of Dickens and His T

The Music of Dickens and His T

↓の本の話も少し。ミュージックホール研究の古典(初版1998)だが、後半のバーメイド論も、T・J・クラークのパリ研究のイギリス版という感じで、面白い。
Popular Culture and Performance in the Victorian City

Popular Culture and Performance in the Victorian City

AK Labo でお茶。鳥良でビール、馬鹿話。