He Knew He Was Right

He Knew He Was Right (Oxford World's Classics)

He Knew He Was Right (Oxford World's Classics)

原著1869。トロロープを読むのはこれがわずかに四冊目、わたしはほんとうにヴィクトリア朝小説研究者なのだろうか。トロロープといえば、退屈平坦保守の代名詞。彼自身の「毎日決まった語数を書く」発言や、郵便局出身というイメージからくることでもあるし、テリー・ビッスンの名作「英国航行中」や、ジェーン・ジャスカ『ふしだらかしら』では、老人読書の象徴として扱われている。で、実際どうかといえば、わたしが読んだなかでは、少なくともこの小説と Barchester Towers は、文句なしに――というのはウソで、長すぎる、なにしろこの本ペーパーで930頁ある――面白い小説だ。とりあえずヴィクトリア朝版『オセロ』だが、サブプロットもそれぞれに魅力的。センセーション小説批判としてもまことに興味深い。メモ代わりに登場人物表を作っておく。人名は、作中ではだいたい括弧の中を外したかたちで呼ばれている。
Mr. (Louis) Trevelyan  年収3000ポンドの紳士。愛する妻が Colonel Osborne と不貞を働くのではと疑い始め、彼に会うのを禁止。妻が実際になにかしているとは思っていない(ここが肝心)のだが、命令にかならずしも妻が従わないのをみて逆上し、どんどん自分を追い込んでいく。やがて私立探偵以外には相談相手もいなくなり、自責に苛まれながらも、妻は夫に従うべきで、罪を犯したのは妻のほうだとくりかえして、後戻りできない。妻の元から息子を事実上誘拐、シエナの近くの山小屋に隠遁生活を送る。真っ当さと妄執の混ざり合った人で、中井貴一あたりか。ベン・アフレックにやらせてみても、滑稽味が出ていいかも。
Mrs. Trevelyan (Emily)  西インド諸島の総督 Sir Marmaduke の娘。愛する夫に不貞を疑われて憤慨。息子のこともあるし、別居後もなんども話し合いをもつが、和解できない。「罪を認めよ」と夫に言われても、なんの罪のことを言われているのかわからないし、プライドは守りたい。ビリング・トップの役ではあるが、それほど深みのあるキャラではない。ステファニア・サンドレッリ(例えが古い)とか、ジェーン・クラコウスキー(『アリー・マクビール』のエレイン)の感じ。
Colonel Osborne  独身。五十代。まだもてる気でいるし、実際もてる。Mrs Trevelyan の父の友人。じつは Trevelyan に嫉妬されて嬉しくってしょうがなく、あわよくばほんとに不貞を、と思って手紙を書いたりする。年齢を利用して安心感を与えて女を口説く年寄り。十年前の津川雅彦
Nora Rowley  Mrs. Trevelyan の妹。大貴族の Mr. Glascock に求婚されるが、迷ったすえに断る。金のない Hugh Stanbury を愛しているからだが、なかなか Hugh の本心が確かめられず苦しむ。最後の最後で Mr. Glascock の領地を訪ね、この財産が自分のものになっていたらなあ、なぜあれほどいい人を断ったのだろう、などと自問するあたりがトロロープらしい。恋は情熱的だが、打算の思いが消えるわけではないのだ。若くて美しいヒロインだから、知性と意志の強さが感じられれば誰でもいい。いまならキーラ・ナイトレーか。
Hugh Stanbury  売れない弁護士で、Trevelyan の親友。金がないので1ペニー新聞のライターになっている。貧乏にくじけず溌剌、軽口もうまい。正気の主役。Nora を愛しているが、ボヘミアン・タイプと自認して、結婚には迷いがある。ユアン・マグレガー。
Miss (Jemima) Stanbury  Hugh の伯母。オールドミス。エクセター在住。早逝した元婚約者から全財産を受けとったため裕福だが、自分の死後は元の家に財産を返すつもりでいる。独善かつ断定的で、人の話を聞かないが、筋は通す。Hugh をずっと援助していたが、ライターになったのに激怒して縁切り。勝手に姪の結婚相手を決めて話を進めたりする。こういう人が出てこないと話盛り上がりませんよ。ジュディ・デンチ
Dorothy Stanbury  Hugh の妹。Miss Stanbury に呼ばれて同居。結婚相手として地元の牧師 Mr. Gibson をあてがわれるが、戸惑った末拒否。万事控えめで、貧乏だしかわいくもないし、自分が結婚市場に出ていけるとは思っていないが、結局は良い相手をみつける。エミリー・ワトソン、よりは美人なのかも。
Priscilla Stanbury  Dorothy の姉。自分では結婚はありえないと確信し、妹や他の女たちの冷静な相談役としてふるまう。Hugh がロンドンに行ってからは家長格。Trevelyan に頼まれて Mrs Trevelyan と同居する(といっても、新しい家の家賃は Trevelyan が払っているのだ)が、不貞に協力したなどと決め付けられて激怒、小さな家の貧乏生活に戻る。一種のプロト・フェミニストで、橋本治風にいえば「知っている少女」キャラ。ただし自分ではけっして恋愛に踏み込まない。小林聡美に行きそうな役だが、もっと屈折して暗い。「人生を楽しむことは、わたしには問題外なのよ」。現代の視点ではこの小説のもっとも興味深い人物で、ほんとうに映画化されるとしたら――まあありえないが――不美人であるという設定は無視してヘレナ・ボナム=カーターにふるべきだろう。適当な男関係のトラウマでも与えておけばよい。
Mrs Stanbury  Hugh たちの母。気は弱め。
Bozzle  私立探偵。元刑事。Trevelyan に雇われて Mrs Trevelyan を監視する。金をもらっている以上なにか報告しないといけないので、些細な手紙のやりとりなどを一々裏読みする。彼にとっては世界は陰謀でできているのだ。この小説は重婚もののセンセーション小説に対するトロロープの反歌で、実際は一切不倫が起こっていないのに、探偵がどんどん煽っていくわけです。Trevelyan は Bozzle の自宅を訪ねて、その汚さ、貧しさに呆然とするが、その頃には彼しか頼る相手がいなくなっているのがあまりにも哀しい。ロバート・デュヴァル佐藤慶を品を悪くした感じ。
Brooke Burges  Miss Stanbury の財産の出所である銀行家の一族の若い男。年寄りを笑わせるのがうまい。Dorothy と恋仲に。誰がやってもよい。
Mr. Gibson  エクセターの牧師。たいした男ではないが、地元では結婚相手候補としてもてもて。Dorothy に断られ、ずっと前から半端にいちゃついていた French 姉妹の妹娘と結婚を決めるが、じつは姉のほうが好きであると気づいてしまってへどもど。田舎のださいファッション・リーダーである姉娘のシニョン風の髪型を見てげんなりする――そして自分がもっているはずの好意を見失ってしまう――シーン、みごと。こういうだめキャラの心理描写はトロロープの真骨頂だ。渡辺いっけいか、ピーター・マクニコル
Mr. Glascock  大貴族の跡取り。Nora に断られ、イタリアでアメリカ大使の姪 Caroline と出会って結婚。頭のめぐりはゆっくりめだが、落ち着いた、鷹揚な好男子。ジョン・コーベット。
Miss (Caroline) Spallding  闊達なニューイングランド娘。イギリス貴族と結婚するとなるとさすがに心配。しばらく前ならウィノナ・ライダーか、それとももっとアメリカ風の女優のほうがいいのか。ハリウッドでは、イギリス人をやれる役者とニューイングランドの名家の人間をやれる役者って、同じカテゴリーなんだよな。
Wallachia Petrie  Caroline の友人、詩人。熱烈な共和主義者でフェミニスト、イギリス封建制度の悪口ならなんぼでも出てくる。戯画化された役だが、案外トロロープは、アメリカ的大義にも、女性の社会進出にも、好意的なのだ。ベット・ミドラーとか。かつてのバーバラ・ストライザンドだと、ちょっと真面目すぎてかえってまずいか。
Mr. Outhouse  ロンドン郊外のしょぼい教区 St Didduph の牧師。妻は Sir Marmaduke の妹で、叔父として一時期 Mrs. Trevelyan を引き取るが、面倒ごとに巻き込まれて不機嫌きわまりない。名古屋章