オーデン詩集

確定申告。ついでに荻窪をうろうろ。

The English Auden: Poems, Essays and Dramatic Writings, 1927-1939

The English Auden: Poems, Essays and Dramatic Writings, 1927-1939

『イギリス文化史1900-1951』の担当章をオーデンの引用で終わらせようと思っていくつか眺め、結局いちばん凡庸に September I, 1939 を選ぶ。上にあげた本は、オーデンの戦前、つまりイギリス時代の作品を、1966年版の Collected Poems では削除されている部分も含めてオリジナルのまま収録したもの。他にもいろんな版があるんだろうが、いちいちつきあいきれない。アメリカで出た全集版(September I, 1939 はそもそも収められていない)と比べると、たとえば Taller to-day (1928) は、第二スタンザと第三スタンザがそっくり削られているのだが、それはたぶん One sold all his manors to fight なんていうフレーズがあまりにイギリス的だからじゃないか、などと想像するのが楽しい。いろいろすでに研究はあるのでしょうが。
例によって日本語訳を見ながらだが、それにしても中桐雅夫の訳はすばらしい。彼の訳によるオーデンをまとめた「20世紀の詩人」双書の『オーデン詩集』(小沢書店、1993)が品切れらしいのは惜しすぎる。たとえば In Memory of W. B. Yeats は、海外詩文庫版の『オーデン詩集 (海外詩文庫)』 に加島祥造訳も収められており、こっちのほうが行き届いてわかりやすい訳なのだが、どっちが日本語の詩になっているかという話になると、どうしたって中桐訳のほうだろう。Taller to-day の中桐訳を書き写してみる。

きょうは顔をあげて、ぼくたち、おなじような夕方を
思い出してる、小川が砂利のうえを流れ、はるかに
氷河をのぞむ風のない果樹園を一緒に歩きながら。
 

夜は雪をもってくるんだ、死んだ人々はあぜ道のしたの
吹きさらしのすみかで吠えるんだ
悪魔が寂しい道について
あんまりやさしい質問を出したからさ。


けれどいまは幸福だ、お互い前より近くはないとしてもね、
ぼくたち、谷中の農家に灯がついたのを見てるんだ、
したの水車小屋の音もやんで
人々は家路をたどっているんだ。


夜明けの物音を解放の響きと聞く人もあろうさ。
だがそれは、どんな鳥も否定できぬこの平和じゃない。
その平和も過ぎていくが、いまここでは充分なのだ、
愛したか堪えたかして、何かがこの時間を満たしたから。