ゼミ・サッカー

イギリス文化1900-1951教科書プロジェクトのミーティング@三田。各人の草稿論評、書けていない人の懺悔、全体としてカバーできていない部分を誰が書き足すかの押し付けあい、など。だんの家で泥酔。
わたしはゼミを教えるとき、サッカーのフォーメーションを頭に浮かべる。この子はボランチ、こいつはフォワード、彼女の持ち味はクロスだ、というように。今日の敵(テクスト)は手強いから、対人プレーに強いやつにマンマークさせて、ここでは長い距離を走るのが得意なのに預けて時間を稼いで、クロスが上がれば、走りこんでくれそうな学生に目を合わす。そこで瞬時に発言してくれるのが、優秀なストライカーだ。ゼミの卒業生のことを思い出すときも、そんな感じ。あいつは足は速かったけど、蹴ったボールどこに飛んでくかわかんなかったよなあ、とか、キャプテンシーは最高だったしキープ力もあったけど、攻撃的なパスを出すときに少し臆病だったなあ、とか。
いやなにを言っているのかというと、今回、hiropon 先生の後方からの球出し、ゲームメイクは見事でした、という感想です。もともともっとオフェンシヴなキャラクターの方だと思うが、年齢とともにポジションを下げるというピルロ小野伸二路線。いや、今回の面子が攻撃に偏っててバランスが悪いからそうなったのか。いったい自分のいちばん得意なプレーってなんなんだろう、などと思ったり。