自然史博物館移転

東京学芸大図書館で、1860年の自然史博物館(大英博物館自然史部門)のブルームズベリーからサウスケンジントンへの移転検討の国会委員会の記録を読む(Irish University Press の議会録シリーズの British Museum vol.4 に収められている)。まとめて読むとやはり面白い。オーウェンはとにかく、クジラも欲しいしゾウもいっぱい欲しいし、あるものはすべて並べたいので、広い土地が欲しい。クジラは大英帝国の経済の礎の一つですよ、なのに大英博物館に標本がないとはなんたることでしょう、とか滔々と述べる。他の学芸員の大部分は移転に消極的。動物部門の管理人、ジョン・エドワード・グレイや、ハックスレーは、一般大衆には品数を絞って公開し、あとは天井まで抽斗を作って入れておけば、そんなにスペースは必要ない、と言い張る。グレイが、移転させるなら美術部門ではないか、と言っているのも興味深い。ロンドンの場合、西は豊かな住宅地で、東は貧しい。美術の愛好家は教育のある金持ちが多いが、生物学、ことに昆虫採集が趣味の人は、下層階級も多いし、そういう人が毎日10人から15人くらいはブルームズベリーに見学にくる。自然史部門が西に移転したら、彼ら貧乏人に打撃だろう、というのだ。博物学は下層の楽しみであったか。
グレイの喋りは、じつに頑固爺っぽくていい。彼は若い頃からずっと大英博物館で働いてるので、王立外科医協会から後になって移ってきて自分の上司になった四つ年下のオーウェンに対して、面白くなかったっぽい。オーウェンと違って、グレイは基本的に講義をしなかった人らしく、学芸員は自分の仕事で手一杯のはずだ、講義なんかしてる暇はない、講義を開きたければ大学から人を呼べばいい、とも言っている。1835年の委員会では、大英博物館のカタログが整備されていないことをオーウェンが延々と批判し、グレイが、「カタログはちゃんとある。オーウェン教授は見せろと言わなかったから見せなかった」とか子どもの喧嘩みたいなことを言っていて、すでに目いっぱい仲が悪そうだ。1835年の時点で、グレイの給料は日給15シリング、週五日、他手当なし。年収180ポンドというのは、下級公務員としてそんなものかと思うが、日給というのが面白い。ジェントルマンの仕事だからというので、サラリーというより、医者やなんかへの謝礼と同じような扱いだったんだろうか。