Born in Exile

ギッシング 『流謫の地に生まれて (ギッシング選集)』(溝川和雄訳、秀文インターナショナル、1988、原書1891)。学問で成り上がろうとしてなかなかうまくいかない主人公ゴドウィン・ピークは、下層出身知識人のいけすかないカリカチュアだが、全体のトーンはあくまで真剣。当時の国教会的保守側と、ダーウィニズムなどの進歩派との思想的対立ぶりがよくわかる。結局ゴドウィンは、大衆を嫌悪し、本来高嶺の花のはずの上流のお嬢さん(にしか惹かれないのだ)を手に入れたいがために、思想信条をくるりと変えて牧師になろうと画策する。このへん、「なにがうけるか」を計算して自分の露出を高めようとする軽薄学者のありかたとか、いろいろ現在のことを考えさせて痛い。(しっかりした女しか性的に好きじゃないから、もともとの考えをくるっと変えて似非フェミニストになるとか、さ。)ゴドウィンは、進化論と創造説を一致させる可能性について、自分では信じちゃいないのに滔々と語る。ギッシング自身もそんな可能性を信じてないから、逆に本気の奴よりわかりやすく説明できているということか。いちばん苦く劇的なのは、この偽善にまみれた計画から、本物の恋愛が芽生えることだろう。あと、ようやく金に苦労しないようになっても、それが人生にさっぱり生かされないというのも、ひどい。
ゴドウィンは地方のカレッジを出て、試験を受けてロンドン大の学位をとる(当時のロンドン大はそうして学位を与えるだけの機関だ)つもりだったが、下品な叔父がカレッジの向かいに小料理屋を開いて、同級生らに自分の親戚となのるのに耐えられず退学。「ロンドン鉱山学校」に移る。当時ハックスレーが教えていた Royal School of Mines、応用科学一般の学校だが、この学校の様子は語られずにすっとばされてしまっていて残念。あと恋人の兄で急進的啓蒙家のバックランド・ウォリコムが、「人間の利己心はまことに導きやすい。社会主義者は、個々の自尊心を過大評価しているが、人間はもっと謙虚なものだ」と語る (p.147) のも面白い。ネオコン風の語り口ですね。後半、多彩な脇役たちの恋愛エピソードも、それぞれ笑える。紫の上パターンとか、一方的思い込み片思いとか、金めあてとか。