カーペンター

会議。新設図書館に利用者がPCを持ち込んで学内ネットワークにつなぐ場合のセキュリティをどう考えるか、いちおう利便性より安全という方向で決着がつく。わたしのように保守的な人間は、ウェブを使うだけなら図書館でやらなくてもいいんじゃないの、と思ってしまうので、とりあえず納得。

Edward Carpenter 1844-1929: Prophet of Human Fellowship

Edward Carpenter 1844-1929: Prophet of Human Fellowship

再版なりました。初版1980。日本のイギリス研究の金字塔のひとつは、二十五年たってもスタンダードであり続けている。いま読むと、カーペンターの同性愛に関する部分も含めて、あまりにバランスの良い記述に戸惑うくらい。要するに、スタンダードな伝記たらんとして、それを実現させた本である。
現在カーペンターは、Intermediate Sex, 1912 の著者として、性の解放の思想家として、フォースターやロレンスへといった二十世紀の作家たちへの影響とともに振り返られることが多い。ただ都築先生の本を読むと、1880年代後半、イギリス労働運動がもっとも熱を帯びた時代――1888年のマッチ女工スト、港湾労働者争議――にも、けっこうな影響力をもっていたことがわかる。ただし1889年、地元のシェフィールドでの争議の際には、彼は一歩引いた態度をとったし(しょせん彼は労働者階級の人間ではない)、実力行使系のアナーキズムとはその辺から離れていったらしい。単なる歴史的な偶然かもしれないが、今から見れば、労働運動の盛り上がりの時期に男性同性愛の文化を代表しているのは、カーペンターの素直な愛の賛美とは対極にあるようにみえるオスカー・ワイルドだ。カーペンターは、1)社会主義運動への直接の政治的影響力をなくしてから、2)不埒な同性愛文化の体現者だったワイルドが世を去ってから、より象徴的・文学的な影響力を与え始めたことになる。この二つの連関になんか意味があるかどうか、答えが出れば原稿が書ける、かな。