ティーチイン沖縄 砂川の記憶

国立市民まつり。ふつうのテキヤの屋台のエリアと、市民活動系の屋台のエリアはいちおう分かれているが、ところどころ混ざっているのが国立っぽい。
ティーチイン沖縄通信@一橋 http://okinawaforum.org/okiwiki/index.php#content_1_6。出席者50名超。『流血の記録・砂川』(1956)上映後に、沖縄タイムス記者の平良武氏、反戦運動の大ベテラン吉川勇一氏のトーク。その後部屋を移して車座になってあれこれ。砂川≒立川基地建設反対運動は、戦後の日本の政治運動史で数少ない勝利の経験だ。映画で、反対側がいっせいに歌う「かーらーすー、なぜ泣くの」の合唱シーンや、妙法寺の僧侶が機動隊を前に読経を続ける場面は、けっこう強度がある。当時は町長や国会議員もピケに並んだというのが隔世の感がある。しかし砂川の記憶は、60年代末の悲惨な記憶にかき消されてしまっている。立川で運動を続けているかたの話がずいぶん聞けたのも良かった。
吉川さんは、国際原水爆会議(1955)で、通訳70名すべてを学生バイトで賄ったことを楽しげに語っていた。そのなかに秋葉広島市長などもいて、いまでも同窓会が続いているのだという。七十五歳にして、自分たちの声を届かせるにはどうしたらいいか、文面を変えるとかではなくて根本的な語りかたの変化が必要じゃないか、などという。この手の左の集会に出るのは久しぶりで、かなり疲れたが、なぜ疲れたかを説明するのにも疲れ過ぎているので、それについてはまた後ほど。
深夜のロイヤルホストで、同僚のLさん、琉球のSさんと、今度とれた助成金プロジェクトの相談。Lさんは、存在自体が詩であり、自分は体調不良で倒れてばかりいるくせに他人をインスパイアする能力でも稀有の存在だが、書類を書く能力を一切欠いているので、わたしが呼ばれて奴隷権金庫番を務めるという手はずなのだ。来年は沖縄に行くことになるかな。