we’ll call it even-steven

翻訳あとがき少し。それにしても進まない。会議。
井の頭通と成蹊通の交差点近くにあるブックステーションまんが館――わたしは以前この建物の二階に住んでました――が近々閉店ということで、半額セールをやっていることに、レジで初めて気づく。会議まで時間がなかったのでそれ以上の物色はせずに、サマラキス『きず』と↓のみ。

1980年から81年にかけて『翻訳の世界』に連載されたもの。以前一部は読んで記憶に残っているが、いま読むと隔世の感がある。商品名事典を引き、人名・地名の辞典を買い揃え、ニューヨークの電話帳を手元におき、スラング辞典をなんども読み……。『リーダーズ・プラス』も、インターネットというものもなかった頃の話である。正直小鷹信光の訳のこだわりというのは、よくわからないところがある。The Postman always Rings Twice の "I was dead" というところ、スラング辞典に dead tired の意としてここが引用されていたそうで、危うく「まるで死んだも同然だった」とか訳すところだった、ちゃんと辞書をひいてよかった、と言っているのだが、そこまで厳密に意味を確定しなくても、これは「くたばってた」とかと訳しておけばそれでいいんじゃないかという気がする(えー、わたしに翻訳を依頼している編集の方々、この男がこういう意識で仕事をしていることにご留意頂ければ幸いです)。いやなにを言いたいかといえば、かつては翻訳のプロとはこうして、さまざまな辞書や参考書を手元に置き、厳密な意味の確定に努める人のことだったし、そこが素人と玄人の分かれ目だった。いまや玄人にそんな優位は存在していない。わたしも学生も、わからない固有名にあたったら同じように Google に頼るだけだ。「英語屋」という存在形態は、かなりの程度骨董品であることよ。少なくとも、現在英語屋として存在価値を主張するには、参考資料を買い揃えておくだけではまるで無理、ということだ。