民衆、この謎なるもの

CALL英語。昨日マシントラブルっぽかったので、業者さんとチェック、沙汰はなし。会議、会議、打ち合わせ。また自分の仕事を増やしてしまう。わたしは、自分の好きな人、なのにいままで一緒に仕事をしたことのない人からの依頼は基本的に断れないので、だらだら仕事とつきあいの範囲が増えるのだが、いいかげん能力の限界値に達してることもたしかで、しわ寄せはどっかにくる。今年は英語のコーディネーターとしてのミスの多さと書類の遅れにそれがきてるかな……。出なくてもいいカリキュラム編成の会議にひとつ出て口を出す。

イギリスの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史)

イギリスの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史)

いちおうの専門家がこういう本を紹介するのもなんだが、思った以上に役に立つ。なにがいいといって、十九世紀以降節目節目の選挙結果の分析。簡潔かつ具体的で、無理やり大きな歴史的流れというか物語を作って説明しようとしていない。そもそも大規模選挙の結果って、「なぜ」と問うてもなかなか答えが出ないものだということがよくわかる。有権者はべつに合理的に――経済原理にのっとっては――行動しない。議会制民主主義というのは、選挙のたびごとに巨大な謎を生み出す装置であるわけだ。
そんな結果をもたらす謎の「有権者」集団に対して、学者なりメディアはしばしば「彼らは騙されている」のだというが、これもまた妙といえば妙だ。こうしてポピュリズムを批判する人の多くは、左派を自認しつつ、「民衆」は「合理的な行動」、つまり財の増大、生活の安寧の増大を目的とするような行動をとるべきだと言っているようにみえるのだから。財は増大するほうがいいでしょ、そっちを選ばないのは馬鹿で騙されてるのよ、と。そのとき彼らは原理的には、完全に資本主義の語彙で語っている。人はパンのみにて生くるものではないし、だからこそ多くの人は「非合理的な」幻想によって投票するのに。他人の幻想を批判するという立場は、たいがいの場合「資本の論理」を、非情にという意味でリアリスティックに肯定することで成立している……といったことを、ジジェクにからめて書こうかしら。