バートルビー

くしゃみがとまらない。後期CALL英語の共通作文課題作り、打ち合わせ、書類書き、e-learning後期教材の準備。これ、後期は俺の担当授業じゃないんだけどなあ。

バートルビー―偶然性について [附]ハーマン・メルヴィル『バートルビー』

バートルビー―偶然性について [附]ハーマン・メルヴィル『バートルビー』

ライプニッツは『自然法の諸要素』で、「偶然的なもの」を「存在しないことができる何かである」としている。「存在しないことができない何か」は「必然的」だからね。存在していないというかたちで存在できるもの、つまり現実化していない潜勢力にしか、純粋な「意志」は存在しえない。意志が現実化してしまったら、それは他のあまたの現勢力と変わりない。なにより現実化したものは、人間ではなく神の意志(神には、存在しないという選択肢はないだろうし)による必然になってしまう。意志は、後からふりかえってみれば現実化しなかったところに、あるいはそもそも可能ではないところにのみあり、それが必然的でない世界を開く。アガンベンのテクストに、メルヴィル「筆生バートルビー」の新訳のカップリング。メルヴィルの訳も大変にこなれていて読みやすい。
どうでもいいけど、訳者がちらっと書いてるように、「えっとお、べつにい、ちょっと違うんですう、どこが違うかはわかんないけどー」といったスタイルは、すごくバートルビー的である。わたしは日々、この現実化しない意志力の前で慄然とすべきだろうか。
アガンベンを読む楽しみの一つは、古代・中世哲学からのはっとするような引用だが、今回の一押しはスコトゥスのこれ。「偶然性を否定する者は、自分が拷問にかけられていないこともできたということを認めるまで拷問にかけられなければならないだろう」。