スペンダー自伝

ティーヴン・スペンダー『世界の中の世界(スペンダー自伝)』高城楢秀・小松原茂雄・橋口稔訳(南雲堂、1959)。原著1951、ということはその時点で著者は42歳。若いうちから自伝的作品を書くのはイシャウッドもやっているが、イシャウッドの一連の作品と違って、人生の一時期を扱うのでなく、生まれたときから現在までを律儀に、反省的なモードで書いているので、それを42歳でやるというのはやはり奇妙な感じがする。最後は、現在でなく、九歳の子ども時代のエピソードがいくつか語られて、やや唐突に終わっている。ちょっと理に落ちすぎた構成じゃないだろうか。
ヴァージニア・ウルフとの交友とか、興味深いところはあれこれあるが、内戦時スペインへの訪問、1937年のマドリード他での作家会議の回想がいちばん興味深い。彼らはサーカス芸人のようにあちこちを回り、宴会に招かれ、歓迎され、そのうち自分はなにをやっているかわからなくなっていく。田舎村の人たちは、この知識人の集団を、救世主かなにかのように扱ったらしいが、もちろん作家たちは、安楽な場所で勝手なことを言い合っていただけといえばだけだ。(ちなみに『自由主義からの前進』で、彼は三千ポンドの小切手を受け取ったという。左翼作家は儲かる商売だったのだ。)この間、会議でどんな発言がされたかはまったく覚えていないという。残ったのは徒労感と不満だけ。スペンダーが二十代なかばに同棲していた労働者階級の若い男「ジミー」は、スペインに義勇軍として参加して、死にかける。自分を捨てて女と結婚した上流階級の男の影響で共産党に入党し、あげくは前線にまで来てしまったわけで、スペンダーが自責の念を感じるのは当然だ。あんたのせいだよ、あんたの。ジミーをなんとか本国に送還しようと必死になるとき、スペイン内戦は彼にとってリアルなものとなる。この経験があったから、作家会議のうわつきに耐えられなかったということか。
いちばん好きなのは、1942年以降のロンドン予備消防隊での経験。同じ隊の労働者階級の人々が、じつに公平な視点で暖かく書かれている。階級の垣根が越えられる、というわけではないけれど、階級間の濃い接触を実現させるのは、やはりセックスと戦争ですね。
昔なじみのチャーマーズことエドワード・アップワードが、「ソ連もおかしいところあるんじゃないか」と問われて「そういうこと考えるのは、もう昔にやめにしたんだよ」と明るいまなざしで答える場面(252-53)は、印象的。こういう、意識的なのかもしれない「狂信」の身ぶりは、ひたすら「いい人」であるスペンダーから遠い。より党の中枢にいた人の自伝を、もっと読んでみたい。