原著2002。やっぱりゼイディー・スミスはいいなあ。主人公アレックス=リは北ロンドンに住む中国人
ユダヤ人。直筆サインの鑑定・販売人としてのらくら暮らしている。彼がずっと書きためている本は、あらゆるものを「
ユダヤ的」と「非
ユダヤ的」goyish に分類するというものだ。本人ろくに教会にも行かないのに。幼馴染はラビの息子でいまはラビ、それに
カバラに傾倒する黒人
ユダヤ人。この人物配置がすてきすぎる。冒頭、少年アレックスが、自分がサメに喰われているのに海岸監視員が気がつかない、という場面を夢想する――悲劇はかくもこっけいで客観視されるものだ。"...while
most children will think immediately of the cinematic shark below them, Alex, in his mind, is with the lifeguard. He can see himself as that smudge on the horison, his head mistaken for a bobbing buoy, his wild arms hidden by the roll of the surf." that smudge とか bob とかいった単純なことばが、弾むようなリズムでろくでもない情景を映し出していく。後半、ニューヨークに行ってからちょっとテンションが落ちる(案内役の黒人中年娼婦がいまひとつの気がする)が、名作は名作。直筆サインと
カバラを重ねて、テーマは「文字」の無意味な神秘性というわけだが、その神秘さはあくまで日常のなかに生きている神秘さだ。教会のように、われわれの映画への愛のようにね。
ポストコロニアル文学論が、こういう、イギリス小説の伝統の正統な後継者である風俗小説をどういう風に視野に入れるか、少し興味がある。