大英帝国の外交官

秋のJACETで授業報告する準備として e-learning アンケートの集計。この授業に不満な学生の多くは、マルチメディア・ビルの専用自習室ではなく、一般コンピューター室で課題をやっていることに気づく。こっちは動作環境もやや不安定だし、周りが騒がしいからたぶん勉強に向かない。時間割の関係で、自習室が混んでるときにしか空き時間がなかったのかどうか。まあ自習ベースの授業でいちばん大事なのは、環境だということです。
一昨年の卒業生とだらだら飲む@風庵。

大英帝国の外交官

大英帝国の外交官

ハロルド・ニコルソン、E・H・カー、ダフ・クーパー、アイザイヤ・バーリン、オリヴァー・フランクスという、五人の外交官の評伝。といっても、クーパー以外は外交官としてよりむしろ著作家・学者としての存在感が強い人選。思想的には、ニコルソンの『外交』(1939)の路線にたち、専門外交官の必要性を訴えている。ここでいう「専門外交官」というのは、国際関係論を学んだ人とかいう意味ではなくて、大学ではギリシア古典や歴史を学び、貴族的社交を知り、人間的な魅力とバランス感覚によって交渉をおこなう、といったイメージだろう。ニコルソン自身は、これを読む限り、階級的で人種差別的で、とても友だちになれなそうな人だけど。(彼は1932年にイギリス・ファシスト党を作ったオズワルド・モーズリーとも親しかった。)じつはこの本の前半、ニコルソンとカーの敵として影の主役の地位にいるのはウッドロー・ウィルソン。彼の、細かい交渉に意を用いない原理原則主義を、二人は激しく批判している。このへんが、現代アメリカ外交への批判的視線と重なるのだと思うが、しかしニコルソン的に貴族的な古典外交の復活というのは現実的でないし、じゃあ階級的な足場がないところでそれに似たものが可能なのか、といったら、この本だけではぴんとこない。著者の旧著は、たぶん庶民外相アーネスト・ベヴィンが主役と思われるので、そっちを読むべきなのかな。