半島、あるいは吉田健一賛

職場の夏休みが終わり、ようやく e-learning の成績を出す。リカヴァリーのチャンス(これまでやっていない課題を試験後にやったら単位を出す)を与えたが、結局やってない学生はやってないまま。想定の範囲内ではあるが、待ったのは無駄だったな。

半島

半島

完コピ吉田健一。とくに第一章、欧文なら関係代名詞になる部分の処理が感動的にそっくり。職場が嫌になって大学をやめ、あてがあるわけでもなくどこか南の、本土と橋一本でつながった島の宿で過ごしている中年男という設定は、吉田健一トリビュートとしてはやや構えた感がなくもない。中国語、台湾語、英語が混在する「アジア性」が巧みに流し込まれている。あとがきで「小説には二種類しかなく、それは地名のあるものとないものだ」と断言されているが、だったら『金沢』や『東京の昔』は、ふつうの意味で「地名のある小説」に分類されるのか。もちろん松浦は承知の上でこれを書きつけているわけで、たぶん、『金沢』は、実在の地名をもちながら具体的描写をほとんど欠くことによって成立している幻想小説であり、この作品は、逆にどこにもない場所を舞台として、しかしというかだからこそ、具体的描写の豊かさと、それがどこか一箇所には繋ぎ止められない朦朧さをともに実現しようとした幻想小説なのだろう。吉田健一になくて松浦寿輝にあるのは、どこまでも下りてゆく階段やエレベーター、旧い坑道を走るトロッコといった「地下の想像力」。とくにトロッコの場面はすばらしい。あと、二日酔いのさりげない挿入は、吉田健一よりずっとうまいと思う。吉田健一の作中人物(吉田健一自身でなく)は、全然二日酔いをしていないという印象があるのだが、記憶違いかなあ?