タマリスクの木

ギュスターヴ・モロー展@BUNKAMURA。水彩の小品(油彩なみにこてこてしている)とか、ざっくり描きの習作が面白く、完成した大作になればなるほどつまらない。誰か、ペーパーバックSFの表紙絵へのモローの直接的影響について教えてくれ。
西荻花鳥風月で購入したドラ・ラッセル自叙伝 『タマリスクの木』1975(山内碧訳、リブロポート、1984)。いちばん楽しいのは、1919年のソ連訪問と、20年から21年にかけて北京で過ごした時の回想。当時の中国の知識人の迷いが、生き生きと描かれている。あと、バートランド・ラッセルとの「自由な結婚」の内幕も。
わたしがこれを読んだのは、1929年にロンドンでおこなわれた第三回の The World League for Sexual Reform について知りたかったから。350人が参加したというこの大会の実質的な中心はドラ・ラッセルと産婦人科医のノーマン・ヘア(「華奢な身体つきで、富裕好み」(342))だった。ヘアはあまり評判がよくない人のようだが、「忠実な友」(355)だったという。ロシアの堕胎フィルムを、検閲をごまかして映写したのが大会のクライマックスだったとか。この会の会長はオーガスト・フォレル、ハヴロック・エリス、ヒルシュフェルトという「変態性欲」研究家たちなのだが、ロンドンの大会に関しては、主催者二人の顔ぶれからわかるように、バースコントロールと結婚制度批判が前面に出ている。性科学というのはかなり広い領域をカヴァーするもので、たとえば同性愛研究がそのなかで自立した領域であったとはいえない。この学会の存在が現在ではほぼ忘れられているのは、その後のバースコントロール運動にも、同性愛権利運動にも、直接つながっていかなかったせいなのだろう。