Nature’s Museums

職場でミス、自分のミスで自分の仕事を増やしてるんだから世話ない。CALL成績データ処理、もう少しシステムが進化してくれないと、平常点のデータ処理が膨大な仕事になるばかり。『スターウォーズ・エピソード3』@吉祥寺スカラ。nabe氏が、「オープニングでいきなり泣いた」というので馬鹿にしていたが、自分もいきなり涙を流したのにはびっくりした。ジョン・ウィリアムズはそれだけ偉大ということか。

Nature's Museums: Victorian Science and the Architecture  of Display

Nature's Museums: Victorian Science and the Architecture of Display

読み直し。最近ペーパーも出たよう。タイトル通り博物館建築の思想史。オックスフォード大学博物館(1855)の章では、この時期のオックスフォードの生物学者たちの大部分が宗教家であったことが強調されている。この博物館は、見た目にもクラシシズムとゴシックが混合しており、屋根はモダンな鉄骨ガラス屋根。当時の科学のありかたの混交性が、建物にも現れている、ということで、屋根が万博水晶宮風にモダンだからといって「科学が宗教に勝利」のような図式を描いてはならない。
1856年以降、リチャード・オーウェンが中心になっておこなった、大英博物館の生物部門を現在の自然史博物館に移動する際の論議について教わったのはこの本だ。オーウェンは、巨大な標本を一堂に公開する広い博物館を望み、いっぽうたとえばハックスレーは、それでは専門の科学者にはむしろ不便だ、従来通りブルームズベリーにあったほうが望ましい、そっちのほうがロンドン動物園にも近くて生きた動物との比較に便利だ、と反対した。万博の流れを汲む「科学の大衆化・啓蒙化」路線は、けっして科学者たちに歓迎されたわけではなく、むしろそれを推進したのは、十八世紀以来の自然神学の流れを汲むオーウェンだった。神の御業を一箇所に集めて一目で捉えられるようにするという発想は、むしろ前時代的なものだったということになる。これは高山宏の著作を読むとよく感じることだが、彼が描くような「パノラマ十九世紀」の思想は、形而上学的にはむしろ十八世紀理神論啓蒙の理屈に沿っているという議論をたててもよさそうだ。自然神学的な博物学の全体カタログ志向が、とりあえず宗教と切れた時に万博=デパート的なものが現れた、といってもいい。