物語り異種格闘技戦

英文学東京若手の会第三回@本郷。出席者90人強。運営面でも、だいたいペースができてきたかな、という感じ。ただ、この会を受け皿にして日本英文学会関東支部を立ち上げるという方向性に関しては、規約面でまだまだ考えなくてはならないことが山とあるけど。
パネル「物語ることをめぐる異種格闘技――文学・歴史・医学・言語学」。佐藤和哉+鈴木晃仁+大堀壽夫、司会・石塚久郎。佐藤さんは18世紀のhistories (chapbooksともいう)という物語資料を、歴史学がどう利用できるか、について。鈴木さんは、臨床医療におけるナラティヴ研究の興隆について。カルテや患者の談話の分析は、絶対に文学研究者のほうがうまくできる、ぜひやるべきだ、とアジりまくる。精神医療のカルテという膨大なコーパスは、文学者の取り組みを待っている、キャノン研究はもちろん基盤だが、そこから大海に打って出てもいいではないか!。大堀さんは、感情・心理を組み込む認知言語学前線の紹介。認知言語学や心理学が追いついてきつつあるとはいえ、まだまだ理論的洗練では文学研究のレベルが高い、という。文学であってもまずことばを扱うのだから、英語を徹底してやらないと、とこちらもアジる。フロアからは、今日の話を文学(キャノン)研究にどう応用するか、といった質問も出たが、むしろ「あんたらがすでにもってる資産をキャノン研究以外に生かせ」というメッセージが発せられていた。はい、鈴木さん、まじめに考えてみます。
研究発表、大桃陶子「A Propagandist or a Mourning Father?: 第一次世界大戦ラドヤード・キプリング、ジョン・キプリング」with 宮崎かすみ。戦後、死者を弔うテーマとともにキプリングの短編で浮上してくるのは、しばしば隠し子といった秘密を抱えた中年女性の存在だ。これがナショナリズムとどう絡むか、あるいはむしろナショナリズムを脱する契機なのか、云々。土屋結城「The Woodlanders の構図」with 新妻昭彦。きっちりとした構造分析。過去の重みに覆われている閉じた村は primitive と形容されるが、これはたとえばJude の大学のような、文化的な過去の重みに押し潰された空間と、どう違うのか、といったことを質問するが、聞き方がうまくなかった。反省。聞けなかったあと二本、李絳 "The Limitations of Language: Oxymorons and Paradoxes in George Herbert's The Temple" with 阿部曜子、加藤匠「真実のオーストラリアとは何か:ピーター・ケアリー歴史小説」with 本橋哲也、も評判よかったよう。
飲み会@だん、大堀さんの博覧強記に痺れる。