セントラルパークの血塗れた歴史

セットバックの道路工事完了。とりあえずこれで全部終わり、だと思う。
いまごろ『現代思想』5月号「公共性を問う」。下北沢開発反対と、ジェントリフィケーション論一般。酒井隆史と高祖岩三郎の対談で、酒井さんが、もちろん高祖さんの導きなのだろう、ほんとうに楽しそうにニューヨークのアンダーグラウンド・アクティヴィズムに入っていっているのが印象的。語られていること自体は、開発資本に負けまた負けの歴史なのだけど。『自由論―現在性の系譜学』という書物のひとつの特徴は、酒井隆史が日本のアンダーグラウンドな運動の現場をよく知る人でありながら、それにほとんど触れず、輸入学問の体裁をとっていることだった。たとえば早稲田学生会館のジェントリフィケーションについて書くのは、タイミングが悪かったのか。あるいは、『現代思想』という雑誌の文体が、ある種輸入のモードを作りだしてしまうのか。ニューヨークの「現場」について語るときには、「現場」と「思想」のこうしたずれは解消されることになる……われながら、どうも嫌味にしか見えないことを書いているな。いや、このずれを解消すべきだとか、もっと日本の現場について書けと言いたいわけではないのだ。現在の『現代思想』は、ずれを超えるために、積極的に下北沢の問題に取り組んだりしているわけだが、他のメディアがちゃんとしていれば、それはこの雑誌が担わなくてもよい気もするし。現場と書くものを下手に一致させようとすると、かえって不自由だし。