愛、知らねえ

愛知万博。言わずもがなのことを言うと、秋に名古屋である学会で「十九世紀・万博の世紀」というパネルがあり、そこに出る予定になっている。たぶん科学教育について喋るのだと思うが、とにかく名古屋でこのネタで喋って、「愛・地球博」は一度も行ってません、では、飲み会で扼殺されるのではないかという恐怖が、わたしをここまで連れてきた。
ゲートには九時前についたが、セキュリティチェックもあり入場に四十分ほどかかる。隣の列の男子中学生たちが「続かない国名しりとり」をやっている。「アメリカ」「カメルーン!」、「フランス」「スペイン!」、「イタリア」「アルゼンチン!」、「ルーマニア」「アルゼンチン!」、「ナイジェリア」「アルゼンチン!」。間髪を入れない。今日これがいちばん面白かったかも。
シンガポールとかカタールとか、金のある小国は気合が入っている。シンガポール館でスペースの穴埋めに使われていたニセ図書室は悪くない。大体が外箱だけの本だが、ところどころにシンガポールと日本の過去を振り返る写真アルバムが開かれている。もちろんメニューをこなすのに必死の客は一顧だにしない。だいたいとんでもない高いところに置いてあったりするし。しかしこの、記憶の内容より、なにかの記憶があること自体に重きをおいた空間というのは、リベスキンドが喜ぶかもしれない。シンガポールの場合、その記憶とは、松下の冷凍工場成功といった、ビジネス成功譚なのだけれど。スペインの外観の楽しさと、中味の投げやりさ加減が笑える。「写真がきれいならそれでいいでしょ、文句ある?」というメキシコやアンデス館の態度も、けっこうよい。
予約をしてきたわけではないので、企業パヴィリオンはトヨタ、JR、「夢見る山」のみ。トヨタは入れ替え制なので、整理券待ちのあいだ座って待てる。わたしも含めて大勢が爆睡していた。日立や三井・東芝は、立って少しずつ前進して二時間オーヴァー待ち、とてもつきあいきれない。トヨタは楽しかった。劇場の形態からいってもまったくのサーカスで、空中ブランコがすてき。ここまでセクシーでない空中ブランコは初めて見た。「夢見る山」は、セットと映像の関係がえらい中途半端な感じである。
二十年前のつくば科学博のときは、富士通の3D映像が話題だった。いまあれを、自宅のTVモニターで観たらどうだろうか。今回、映像系の代表格である日立をみていないのでなんともいえないが、CG映像が一般化した現在では、結局強いのは平面映像よりロボットや人間のダンサーであるような気もする。万博の第一目的たる世界各地域の紹介は、べつに暑いなか列に並ばなくったって、映像で十分なはず。ただ、それならわざわざ出かけるに及ばない。キルギス(たしか)は、現にNHKのドキュメンタリー番組をずっと流していた。地理風俗を知るのが目的なら、そっちのほうが効率的だ。だからわざわざ見にきてよかったと客に思わせるのは、モロッコの木彫り職人とか、モンゴル・サーカスの関節くねくねお姉さんとか、「人」だということになってしまう。あとはたんに「万博にきた」という、なんだかよくわからないが「とりあえず行ってきた」感だけが残る。
個人的に気に入ったのは、北欧館の個人スペース。どこの誰とも知らない人からのメッセージと、彼らの思い出の品(古着とか)が陳列されているだけ。これ、レンタルスペースなのかね? 「あなたも万博で世界にメッセージを、料金は一千ユーロぽっきり!」とかだったのか、それともオークションだったのか……。