Culture and Society

事情があって Raymond Williams, Culture and Society 1780-1945 (Chatto & Windus, 1958) の第1部。コールリッジでは一体化していた詩的なものと政治的なものが、その影響を語るJ・S・ミルでは分離している、という指摘がいちばん面白い。『ベンサムとコールリッジ』というミルの著書のタイトル自体がこの分離を物語っており、十九世紀なかば以降のシニシズム、政治改革は詩的(人間的)なものではありえないという閉塞感と結びついている、云々。ディケンズの『辛い時代』では、いわゆる産業革命的なものと、その問題点を是正しようとする功利主義的改革とが区別されず、両方が生き生きとした「想像力」と対比される、という図式は明快だ(凡庸な批評は、対比だけ指摘して混同を指摘しない)。つまりウィリアムズは、政治に「詩」を取り戻そうとしているのだが、ただそれを社会の有機体的な全体性を取り戻すといった構図には頼らずにやりたい……。これはひじょうに難しい話で、そのためには政治的なものと私的な経験とを、分離せずに互いに関連づけなければならないが、かといって関連づけすぎると、ジョージ・エリオットの「もつれあった網」のような全体図が浮かび上がってくる。これは、網にとらえられている個々人をどうにも受動的な、身動きならないものにみせてしまう、というのだ。うーん、ここまでつきあったら後半、ファビアニズムなどの章も読むべきか。