State and the Odd Women

久しぶりに自転車で成城へ。仙川沿いの遊歩道が気分よい。講義、先週の教室の雰囲気の悪さは、たんにまだみんな教科書を手に入れておらず不安だったというだけのようだ。少し安心。英文購読。

Victorian Studies 47-1(2004年秋号)。『荒涼館』『ユートピア便り』『余り物の女たち』と、作品論が三本(+最近のハリエット・マーティノー研究のレヴュー)だけという構成は珍しい。長らく文学と文化研究融合の本丸の一つとなってきた雑誌だが、最近ちらほら感じられる「やっぱり文学研究は文学テクストをちゃんと読まないと。歴史学とは違うんだし」傾向が、ここにも押し寄せてきたか。わたし自身は、「自分ではおもに作品論を書くが読むのはそうでないもののほうが好き」という半端な立場なので、あまり喜べない。
なかではとくに Zarena Aslami, "State Fantasy and the Case of The Odd Women" が面白い。結婚制度や読書体験を通して、ギッシングが、国家の与えるものに満足する生き方と、それとは違ったかたちでの希望、楽天性といったものをなんとか探ろうとする方向と、両方をしめしている、という大枠はあまり斬新でないが、シドニー・ウェッブが一八八九年に書いた有名な、「ゆりかごから墓場まで」の国家論を取り上げたところが興味深い。じつはここのところ「ゆりかご、子育て、教育、住居、予防注射……娯楽、墓場」と列挙で書かれており、さらにそのあとには「美術館、公園、ギャラリー……ガス、水道、市電……教会、読書室」と、とにかく文化のインフラはみんな国家のものだ、とある。国家は経済面だけでなく文化面にも責任があるわけだ。ロンドンの街路や、公園、図書館その他の施設の固有名をやたらと列挙していくギッシングのスタイルが、そもそも総合的な「国家」の意識とともにあるのだ、という議論は、強引すぎるが、どっかで使えそうだ。

最近授業でディズニー版の『アリス』を使ったので、いま実写オールスターキャストで「大人の見るアリス」をやったら誰がいいか、考えてみる。
アリス       クリスティーナ・リッチ
白ウサギ    キャメロン・ディアス(ジョナ・エルフマン)
帽子屋      クリス・ロックメリル・ストリープ
三月ウサギ   クリス・タッカーゴールディ・ホーン
チェシャ猫    ケヴィン・スペイシー
セイウチ     ジェイ・レノ
大工        アダム・サンドラー
牡蠣        テレタビーズ
イモムシ     ジョン・ウォーターズ
赤の女王    ジャック・ブラック
赤の王      ベン・スティラー
白の騎士    ジャッキー・チェン
ハンプティ・ダンプティ  神足裕司
トゥードルダム&トゥードルディー  マイケル・ジャクソンとそっくりさん、あるいは合成