仮面ライダーの郊外

概論、ポストモダン建築と記憶、エイズ・メモリアル・キルトとか。e-learning オフィスアワー。

  東京スタディーズ
吉見俊哉・若林幹夫編『東京スタディーズ』(紀伊國屋書店、2005)。平塚・厚木を、工業的なものと郊外的なものとのせめぎあいの場として捉え、ホームレスへのインタヴューを収録した西澤晃彦小田急読売ランドという(いまや滅びゆく)ニュータウンに住まうみずからの経験を書いている石原千秋の章がとくに印象深い。
全般には、西澤の章はむしろ異質で、編者でもありいちばん量も書いている若林幹夫のセンスが強く出ている。町田に生まれて、7,80年代に『シティロード』と岡崎京子の愛読者であり、いまは流山という郊外住宅地に住む、一種典型的な東京住人の目だ。若林が70年代の町田や川崎の造成地のイメージをもっともよく伝えるものとして、『仮面ライダー』シリーズをあげているのは我が意を得たり。もちろんたんに安く使えた開けた土地がそこだったということなのだが、ライダーとショッカーたちが戦うあの荒涼とした赤土の空間の平板さは、東京という都市にとどまらず、日本のある時代の風景のもっとも切迫した記録のひとつだと思う。
冒頭で若林は、お台場の「力なき力」「ゆるさ」にふれ、お台場以上にお台場的な、強度の漫然さを引き受ける場所として、船橋ららぽーとをあげている。都市をテーマパーク化するかつてのパルコの渋谷戦略が、暴力的に既存のごちゃごちゃとした都市空間に人工性をねじこんでいく試みだったのに対して、埋立地であるお台場や、あまりに巨大な六本木ヒルズは、そうした緊張感のない、自己完結した街=モールになっている。編者の二人も、(大学四年のときは不動産屋かゼネコンに就職して、こうした「島的な」空間の開発に携わろうと思っていたが、だんだん「変節」して、雑多な街を歩くことに関心が移ったという)北田暁大も、そのありかたに違和感を感じつつ、このようないわば都心における郊外モールのモードが、都市論の最前線にならざるをえないと意識しているようだ。嬉しい事態ではないにしても。