象られた力

ディケンズ鑑賞大事典』、ラカン協会論集原稿の校正。ラカン協会が、フランス語のタイトルを併記しろと言ってくる。自分じゃつけられないんですが、どうしましょう。

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

シリーズ化してほしかった「呪界のほとり」は異質だが、後の三篇はどれも、「いまは存在していない魂の感情や叫びは、いま現に生きているわれわれの前にどう立ち表れるか」という話。「憑き」とか、言霊といってもいいし、実際どれもホラーなのだが、これがなにやら神秘的な霊とかではなく、「デュオ」の楽譜、「夜と泥の」のテラフォーミング、表題作では失われし惑星百合洋(ゆりうみ)の「図形」と、きわめてかっちりとした記号を媒介として出てくるところが、飛浩隆飛浩隆たるゆえん。
「図形は図形だ。欲望はいつだって見る側にある」(p.398)という台詞があるが、そう簡単にはいかないはず。図形に、記号そのものに宿る欲望は、見る側の欲望をつねに侵食する。「『ハムレット』の一節を口にするとき、あなたはウィリアム・シェイクスピアその人である」とボルヘスなら言うところだ。間主観性は読者を高みに連れていってくれる。でも、それってシェイクスピアにしてみればどんな気分なのか? 「死者」はそれでいま現在ハッピーなのか? というのが、ここで繰り返し問われていることだ。