鼻、腸詰、赤茄子

教材準備、会議、新入生オリエンテーション、会議。

省エネモードに入って昨日の続き。もう一本の発表は芥川「鼻」の冒頭、禅智内供の鼻が「腸詰めのよう」というところにこだわる話。ここ、原稿をみると最初は「赤茄子」つまりトマト、それから「烏瓜」だったらしい。ではそのころトマトとソーセージは日本でどのくらい食われこの名で呼ばれていたかを、読売新聞データベースを基に調べまくり喋りまくる一幕。作品論的には、「腸詰め」ということばが生臭坊主、もしかするとコンドームを連想させる、というところに落ち着く。それより飯田平作『通俗養豚書』(明治37年)――ラフテとか、頭及耳の酢味噌とか、気管の吸物等、沖縄ベースなんでしょうが、いまよりよっぽど豚を食べつくしてるぞ――とか、杉村楚人冠『大英遊記』(明治41年)の「握飯のやうなガンモドキのやうな変な物」のほうが気になる。ヨークシャープディングか?

この発表のハンドアウトに載っていた大正4年読売新聞家庭欄の「赤茄子の肉づめ」の記事を読んで妻が、うまそうだから作ると言い出す。玉ねぎの細かく切りたるものがないので長ネギとセロリを入れ、バタではなくオリーヴオイルで、色の変わりしところへ裏漉しにかけしトマトを少し加えるのでなくあらかじめ大量のトマトを加えてフライパンでいため、最後はテンピではなくグリルで焼く。この人が本を見て料理してその通り作ったのを見たことがない。美味しくいただく。