ルネッサンスその他

ヴィクトリア朝研究会二日目。"Espoir", How to Live on a Hundred a Year, Make a Good Appearance, and Save Money (1874) 解題。レア本。森永卓郎ヴィクトリア朝版という感じだが、語り手=正しい節約生活紹介者はオールドミスあるいは寡婦で、田舎で一人暮らし。タイトルだけ見て注文し、届いてから「こんなん参考にならへん!」と怒鳴った子持ちの主婦もいたのではないかと思われる。庭でジャガイモとか作ってるしなあ。野菜買ってないしなあ。余りものの屑野菜で作ったスープを貧乏人に恵んだりする以外、娯楽もないみたいだし。食料品等の値段が細かくわかる。ボンネットが案外高い(ドレスは7シリング未満、ブーツが16シリング、ボンネットが1ポンド、つまり20シリング未満とある)。作者は、ほんとうにこの生活をしていた女性なのか、それともペルソナかぶった男性ジャーナリストなのか。おそらくこの問いに答えが出ることはないだろうが、同じ出版社から出た同版形の本を追っていけば、面白い。

ペイター『ルネサンス』結論に、バッハオーフェンエンゲルスに連なる単婚制への批判、同性愛を読みこむTさんの発表。ペイターが進化論的なものや慣習性を否定するとき、その「慣習」には単婚制のような規範的ヘテロセクシュアリティが含まれているのではないか、という説を、後のデメテール女神についてのエッセイなどを引きつつ展開したもの。ペイターは実際にゲイだっただろうし、オックスフォードの閉鎖的な男性社会の共同体を同性愛的といってもよいが、ただし、ペイターの「規範」への抵抗は、文字面の上では、見たり触ったりといった個人の感覚的経験のレベルを重視することで行われている。それってオックスフォードの同性愛的コミュニティと、いったいどう関わるのか、と問い始めると厄介だ。ベストセラー作家だったオリファント夫人がこの結論について、「エレガントな物質主義」とくさしたのは面白い。人間は視覚その他の物理的情報で成立している、とペイターは言うわけだが、審美主義と唯物論的科学の接点は頭におくべし。

ハーディ "Barbara of the House of Grebe" における女性のセクシュアリティを論じたYさんの発表。サンダー・ギルマンとかシンシア・イーグル・ラセットとか、狂気の女性のステレオタイプを論じた名著を引いているのだが、どこか「ハーディはお上品な女性というジェンダーの規範を超え、性的な女性を描けているからよい」みたいな話になるのは、うーん。その種の肯定的なフェミニスト読解は、ギルマンのような、男の側からみた恐るべき女性像の偏りを指摘する姿勢と融和させることができるのだろうか。これはフェミニスト批評の究極の問題の一つか。