Hard Cash

Charles Reade, Hard Cash (1863, AMS 1970) 読了。ずいぶん時間がかかった。家族の陰謀で正気なのに精神病院に閉じこめられてしまうネタのセンセーション小説として名高い作品で、実際後半、主人公があの手この手で正気を主張するところが迫力がある。

タイトルは、主人公の恋人の父親である商船船長が、インドで銀行預金を全額下ろした14000ポンドの現ナマのこと。このおっさん、円に直せば億を超える額の札束と小切手(billもhard cashというのだな)を小さな革袋に詰めて身につけたまま、喜望峰回りで帰ってこようというのである。もちろん嵐に遭うわ海賊は出るわ袋に神秘の力が宿っていると信じるインド人下男に盗まれそうになるわ袋を海に落として見失うわ、いろいろあっても結局無事にイギリスにたどりつくのだが、そこまで命がけでもってきた金を、評判が高いけれどじつは破産寸前の近所の銀行(ここの悪辣な頭取が主人公の実の父)にあっさり預けて騙し取られ、頭に血が上って脳卒中で倒れて気が狂う。なんだそりゃ。

金融史の教科書には、1844年のBank Charter Renewal Act によって、イングランド銀行以外の銀行は紙幣の発行をできなくなった、と書いてあるのだが、この小説では、銀行破産の直前に全額預金を引き下ろして財産を救ったつもりでいた男が、じつは渡されていたのがその銀行の発行券だけで、結局は紙クズ、というエピソードがある。イングランド銀行以外の紙幣が、1844年以後もどのくらい出回っていたのか、気になる。

気の狂った船長の息子が、紳士身分でありながら家計を支えるために身を投じた仕事が消防士、というのもおもしろい。けっこう消火活動が詳しく生き生きと描かれているし。

わたしがいちばん興味があるのは、オックスフォードの学生言葉とか航海用語、それに医学用語といったジャーゴンの多用と、一家の友人である医者嫌いの医者の活躍。センセーション小説では、平気で人を狂人と認定して閉じこめる医師の権力がつねに批判されるわけで、医者嫌いの医者――他の医者はとにかくありもしない病気を診断しすぎる、と文句をつける――は、それへのアンチテーゼとして出てくるわけだ。でも彼だって専門知識がないわけではない。結局違いは、要するに人間性の違いだけなのか。専門性を批判する小説が、読者がすぐにはわからないような単語で埋まっているというのは、どういう戦略なのか。そのうちもうちょい真面目に取り組もうと思う。