Bodies That Matter

卒業式。毎年のことながらいやだ。

お茶大COEジェンダー研文献討論会、Judith Butler, Bodies That Matter (1993)に顔を出す。

初歩的な質問に丁寧に答えていただいてありがとうございます。いったいなにかというと、バトラーのいう引用とか反復性における言語と、狭義の言語以外の身体的表現の違い。言語はことばにされるたびに意味がずれていく可能性があるし、実際queerなんていうことばは違う意味を獲得している。だったら、髪形とか歩きかたとかはどうか。現実に引用されるたびにずれていくのは明らかだが、それと言語のずれとは理論的に違うのか違わないのか……。

結論としては、バトラーにおいては身体の動きもひとしなみに「言語」であるということ。「引用されるのは規範であって、身体が引用されるということはない。身体とか物質性というのは引用の結果として生ずる」といったことをSさんが言っていて、とりあえず納得。その「規範」が狭い意味で言語化され、分節化されていると考えるべきなのか、そうでないのか、というところはまだひっかかるが。

懇親会でたらふくピザを詰めこみ(ここで出てくるピザは美味い)、COEの運営の大変さの話とかあれこれ。誰を呼んでも講演会の時給は一緒、という話にびっくり。それじゃ世間で売れてる人を呼ぼうとすると無理が出る。資料代を自由に使えるわけでもないし、COEをとってもいい話ばかりではないようで。