経済政策を歴史に学ぶ

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経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]

経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]

終盤のリフレ論解説ももちろん勉強になるが、「日本経済学の失敗」と題された第4章は、清算主義というか構造改革主義の立場をとる過去のエコノミスト・思想家たち――笠信太郎都留重人高田保馬村上泰亮西部邁――の説をまとめて面白く読める。ここを読むと、彼らの多くは構造改革によって主要産業部門を移行させることを考えている。笠なら軍需産業から輸出工業へ、高田なら農村から都市へ、というように。で、要するに枚数の制約のせいなんだろうが、この本では、彼らが金融を軽視したことはわかっても、彼らの構想した産業部門の移行が非現実的あるいは無意味だったのかどうかは一切書かれていない。だからこのままだと、「構造改革によって(たとえば)IT部門への労働力と資本の移動が行われて経済が活性化します」的な物言いには、この本は応答していないことになってしまう。その幻想こそが検証されるべきはずなんだが。
村上・西部のエリート的「官僚」は、専門職たるエコノミストと対比されるのだが、ここが非エコノミストの素人にはわかりにくいところ。西部の「官僚」は専門家より上に立ってあらゆるものを見透かすスーパー・テクノクラートで、通常の専門知よりも上位の存在なんだろうが、じゃあ経済官僚トップがそれとどう違うか、といったらなんだかわからない。リフレに限らず金融政策重視に対して、エリート上層部の決定が経済の最大の動因であることに感情的反発をもつ人もいる。そうした人――気分としてはわからんではない――にとっては、エコノミストがまさに肥大したスーパー官僚に見えてしまうわけだ。この感情的反発そのものについては田中秀臣が応答する必要はまったくないと思うが、西部・村上のエリート主義を批判するならなにかもっと言って欲しかった気がした。