コプチェク、恥じらい、無限
コプチェク勉強会@駒場。出席者14名。
Lacan: The Silent Partners (Wo Es War Series)
- 作者: Slavoj Zizek,Alain Badiou,Bruno Bosteels,Miran Bozovic,Lorenzo Chiesa
- 出版社/メーカー: Verso
- 発売日: 2006/04/17
- メディア: ペーパーバック
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ここでレヴィナスの「逃走について」が引かれているのが一ひねり。「羞恥のなかに現れるもの、それは自己自身に釘づけにされているという事実に他ならない」。1930年代に書かれたレヴィナスのこの一節を、「ユダヤ人はユダヤ人であることから逃れられない」という風に読まないことは、かえって難しい。しかしこうして主体の「自己自身」を、ナショナル・アイデンティティとか過去の自分とかといった具体的内容へと直結させることは、むしろ反ユダヤ主義者のふるまいだ、とコプチェクはいう。存在の根源的不安・欠如を、具体的なものの喪失と混同しないように、という教えが、ここでも変奏されている。ただコプチェクはいっぽうで、つねに享楽――大学の言説内で命じられるのではなくて、真の享楽――には具体的な対象があってその都度主体は満足する、という言い方もする。それが恥じらいの具体性のなさとどこで切り替わるというか一体化するかが一つ問題だ。
しかし最近のアメリカの批評でレヴィナスが流行してるのはたぶん、9.11以降、アメリカ人が自分たちを「被害者」として意識してることの反映なわけで、なんだかなあ。
レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)
- 作者: エマニュエルレヴィナス,Emmanuel L´evinas,合田正人
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/05/01
- メディア: 文庫
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コプチェク自身が二つの無限を混同しているのではないか、とsue さんは言っていたが、どうだろう。実無限というのはあくまで概念なわけで、具体的に内容を書き出してリスト化しようなどとすると、そこには可能無限的な、いくら数えていっても全体にたどりつかない事態が生ずる。そのときにリストを作ろうとする側はたしかに理屈としては「男性的」な系にいるのかもしれないが、他にどうしろといってもどうしようもないような。これは sueさんと話しているといつも感ずるのだが、sueさんはこの状態について、「全体にいつまでもたどり着かないのにたどり着こうとする→結果女性の享楽は不可能なものにみえる」というたしかにひじょうに男性的な欲望を重視して語るのだが、わたしは、いくら内容を数え上げていっても数えつくせないという事態そのものが、到達不可能なものへの苛烈な(男性的)欲望と不即不離だとは全然思えないのだ。
Sexuation (Sic (Durham, N.C.), 3.)
- 作者: Renata Salecl,Slavoj Zizek,Jacques-Alain Miller,Genevieve Morel
- 出版社/メーカー: Duke Univ Pr
- 発売日: 2000/10/01
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