Nature and the Bible

犬のサークルを外して人間の赤ん坊用のゲートを代わりにおく。ねじ穴を大きく切りすぎて慌てて三鷹のJマートでアンカーを買ってきたりしているうちに夜。なんでこの辺近くにホームセンターがないんだよお。
F. Henri Reusch, Nature and the Bible (trans. by Kathleen Lyttelton, Edinburgh: T & T Clark, 1886) 全二巻。仏語原著1867、ただしこの英訳は四版からで、その四版がいつ出たかは知らない。当時の護教的科学論のある種の集大成というべき本で、唸るところ多数。同志社の貴重書書庫で1頁1頁コピーして頂いたTさん、感謝です。
まずは、聖書があくまで当時の言語で書かれており、十九世紀の目で見れば、科学的事象に直接言及しているわけではないのだから、直ちに文字通りの解釈をほどこして「非科学的」とみなすべきではない、という議論。聖書は自然科学の教科書ではない、というこのあたりの運びはごくまっとうだ。1864年にイギリスで起こった、聖書と自然科学に矛盾はないとする文書への署名を多数の科学者が求められた事件に対しては、「自分も署名しなかっただろう」とある。
いちばんの大ネタは、「創世記」の天地創造の七日間の記述をどう読むか。「創世記」の記述では、光は太陽よりも先に創造されたことになっている。太陽が創られた四日目以前は「一日」というのはなにを意味したのか? 日が昇って沈むまでのあいだが一日ではないのか? ロイシェの結論は要するに、七日間は二十四時間×七日ではなく、はるかに長い時間がそこに過ぎ去っているというものだ。七日間という期間はあくまで比喩的に、六日働いて一日休むという人間の労働のサイクルと、神の行いとを対応させたものにすぎない。そう考えれば、たとえばはるか彼方の恒星の放つ光が地上に届くには何光年もかかるという議論で、聖書を全否定する必要もなくなる。地質学者の言うとおり、地球が現在あるかたちになるには長い年月がかかっているが、それらはすべて比喩的な「七日間」のうちであり、そこでゆっくりとした変化も起こっている。もちろんその変化を作り出しているのは神だ。"It was necessary that a creation in space such as God willed, should be conditioned by development in time, because formation in space cannot exist without formation in time. God does not cease to be a creator because He willed and created not only space, but time also. He must indeed have subjected the earth to such a development."(vol.1, 245)。
こぅして時間軸をゆっくりとって、洪水激変説(化石の残る絶滅動物はノアの洪水以前のもの)は否定される。生物の変化は、「七日目」以前の、じつは長大な時間の流れのなかで起こったものなのだ。(この項続く)